-PBインタビュー・コレクション-

東儀 秀樹

「千年を単位に日本を生きる」

ジャンルの別にとらわれず、音楽をかなり聞き込んでいる向きも、雅楽となると腰が引けるか。では迷わず東儀秀樹。正統派がゆえに型破り。神秘に包まれがちな伝統 の煤を払い、再生を試みる冒険者は経歴もユニーク。日本人離れ。だから日本を深く愛し叱咤激励もいとわず。

皮膚をじかに刺激して、毛穴から侵入して感覚のバルブをゆるめるとでもいうのだろうか。鋭く、しかも深い音だ。 息遣いまでもが音の一部をなし、その音色は人間の声、すなわち地上の音をあらわすという由来にも納得がいく。
昨日エジプトから帰ったばかりの東儀は、カメラマンのリクエストに応じて篳篥を鳴らしてくれた。180cmはあろう長身の、黒ずくめの男は、雅楽という言葉から連想される堅苦しさをみじんも感 じさせず、こちらの問いに真正面に向きあい、明晰な言葉で打ち返してくる。商社に勤務する父の仕事の関係で、1歳から7歳までタイで、13歳から14歳はメキシコで過ごした。タイではアメリカン・ スクールに通い、ませたアメリカ人の幼稚園児たちの間では早くもビートルズがアイドル。映画『HELP!4人はアイドル』に息を呑んだ子供の夢は「大きくなったらビートルズになること」だった。

<PLAYBOY(以下PB)>東儀とはまた珍しいお名前ですね。
<東儀>東儀は母方の家系で、奈良時代から1300年にわたって雅楽を伝えてきた楽家なんです。聖徳太子の参謀・秦河勝の五男が雅楽をやる家として確立し、秦河勝は、朝鮮半島に亡命した始皇帝の15代目の末裔だといわれ、実際、江戸時代の家伝は始皇帝から始まっていたりする(笑)。信憑性はともかく、先祖が帰化人だったのは確かなようですね。
<PB>当然、世襲というプレッシャーをひしひし感じておられたと。
<東儀>いや、強制的な世襲ではありませんし、宮内庁の楽師は男性だけ。それで母は商社マンに嫁いだわけですから、義務感に縛られていたというのは当たりません。典型的なサラリーマンの家庭で、しかも海外にいましたから、周囲の目も気にせずにすみましたし。
ただ、子供のころから楽器がオモチャで、ギターにはまり、高校時代はロック・ミュージシャン志望。進路を決める際、母にその旨を打ち明けたんです。すると、そこまで音楽にこだわるなら東儀家の音楽にも目を向けてみたらと指摘されて、最初はピンと来なかったのですが、それでも比較的すんなり受け入れたのは、やはりどこかで家をないがしろにはできないという責任感を感じていたのかもしれません。
<PB>それで宮内庁式部職楽部楽生科に進んだのが18歳。15歳で入学するのが普通だそうですね。
<東儀>ええ。楽家に生まれた男の子は、だいたい中学を卒業する15歳から正式に楽生科で雅楽を学びます。楽家なのに帰国子女、しかも18歳ですから、先輩が僕より年下で(笑)、18から始めたんじゃ遅いとか、外国にいたんじゃ雅楽はわからないだろうといった通りいっぺんの非難にもさらされました。楽理的な基礎が習えて、それがロックやジャズにもいずれ役に立つんだし、雅楽一辺倒で、ロッ クやジャズを捨てたわけじゃないんだからと割り切り、放課後の教室でこっそりギターを弾いたり。僕の中では音楽のフィールドが広がったくらいの認識なんですが。
<PB>あまりに違いすぎませんか、洋楽と雅楽でとは。
<東儀>ジャンルにあまり関心がないというか、せいぜいクラシックかロックか程度なんですよ(笑)、僕にとっては。現に、今やっている音楽がどんなジャンルに属すのか、雅楽とは何かとかいう定義は、僕にはどうでもいいことだし、厳密に定義せよと迫られると困ってしまいます。まあ18歳は生意気ざかりですから、正直なところ、居心地の悪さを感じたこともないわけじゃない。
<PB>上下関係で?
<東儀>それほど気にしなかった。腕さえ良ければ関係ないという思い、タテ社会が守ってくれたおかげで延命してきたのだから、そのシステムは大切にしないといけないという気持ちが同居しているんです。腕の伴わない人がそれを自覚せず、ただ上というだけでやみくもに命令するケースはどこにでもありますし、それよりもどかしかったのは、耳ができているのに、また一から説明されること。15歳で初めて音楽に取り組むという水準からスタートするのがけっこう辛かっ た。根が勝ち気なもので、教師がいい加減な教え方をすると、すぐカチンと来て、堂々と文句をつけたり。自分の能力を正当に評価してもらいたかったんだと思います。
<PB>それまで正規の音楽教育を受けていたわけではない?
<東儀>まったく。けれど、家族全員音楽好きで、子供の頃から音楽に囲まれて暮らしていました。見よう見まねですが、一度聴いた曲はすぐにピアノで弾けました。バンコクに住んでいた頃、ビートルズに熱を上げてギターをねだったら、ウクレレを買ってくれたんです。当時のタイには日本みたいにプラスチック製のオモチャがなくて、プロ仕様の本格的な楽器でした。ハーモニカもドイツの名門ホーナー製。音階や音程など調律がすごく行き届いているんです。それがプラスに働いて、相当早くに音感ができあがっていました。ギターもベースも遊びですが 一通りこなせたから、もどかしくて(笑)。
<PB>何も習うことがない。
<東儀>雅楽は別ですよ。雅楽は師匠と一対一で、篳篥だったら、吹いたときに出る音を口ざさむ稽古を徹底してやります。楽器を持てるのは一年後、縦書きのメモのようなものはありますが、譜面は一切使わず、ひたすら師匠のコピーに徹する。ひどく効率が悪いように見えますが、じつは雅楽のように完成度の高い音楽を伝える最上の方法は、楽譜を使わないことなんですよ。楽譜がないのに正確に継承されないと思われがちですが、いったん楽譜に定着してしまうと、忘れてもこれがあるからいいやって人間はすぐに慢心してしまう。でも、あとで楽譜を見 たとき、音が閃いたときとではすでに気持ちが違っていますし、解釈にも影響を与えるでしょう。譜面によらず、一子相伝で身体に叩き込み、噛み砕いて習慣化しておかないと、音と音の間の伸び、縮みといった記号化できない要素は伝わりません。同じ1cmだって個々でサイズは食い違いますからね。1cmとせず、この長さなんだと寸分の狂いもなく身体で記憶するのが一番間違いがないんです。しかも、音楽を神に捧げたり、天に手向けるわけですから、人間の俗物的な感情でその都度勝手にアレンジするなんてまねは絶対に許されません。
<PB> ある意味で融通がきかない。
<東儀>古典雅楽に限っていえば、融通をきかせようなんて思わないほど完成され たものとして僕は受け止めています。約1400前、飛鳥時代に大陸からさまざまな文化が流入した際に今のスタイルが確立されたと理解されているふしがありますが、実際は平安時代に約400年かけて練り上げられた結果、今の古典雅楽は完成を見ました。むろん400年ですから、その間何代もかけて、知識や感性や情感を織り込んでいったのでしょう。
現在に至る1000年の歴史のうちには、僕だったらこうするのにと無理矢理ねじふせてみたりなんてこともあったでしょうが、結局変わらなかったのは、ゆるぐ余地がないほどオリジナルが完成されていたからだと思うんです。それを個人がねじふせようなんて、おこがましいにもほどがある(笑)。

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<PB>学校では7年かけて、笙、篳篥、龍笛の管楽器から一つ、弦楽器から琴か琵琶のどちらか、加えて太鼓や鼓など打楽器すべてと歌謡に舞、さらに宮中晩餐会等で演奏するオーケストラの楽器を一つ……これを全部やらされる!
<東儀>僕は篳篥と琵琶、チェロを選びましたが、わりあい器用な方なので何とかこなしました。雅楽は完成されているとお話しましたが、ほかの邦楽だと個人の間が尊重されたり面白がられたり、アドリブが大切だったりするのですが、雅楽の場合、指揮者なしで、他の楽器との総体的な関係、空気も含めたすべてをピタリと合わせなければなりません。大げさでなしに命をかけて完成度を再現するのが楽師の使命なんです。そのためにはすべての楽器に通じ、舞が舞えるから楽器の特性がわかり、響きを知りつくしているから、いい舞が舞えるというシステムが必要になってくる。何でここに“ゆらぎ”があるのか考え抜いていくと、それはそのカーブが人間にとって一番気持ちがいいからという結論に落ち着いてしまう。だったらそこに、いたずらな作為を加えるのでなく、いかに美しいカーブを 描けるかに心を砕けばいいんだと。
<PB>理屈じゃなくて快楽原則。
<東儀>体がわかるという感じかな。篳篥は、下のソから上のラまで、1オクター ブと1音という、どうしようもなく音域が狭い楽器で、唇の位置や指使いがほんの少しでも変わると音が3度も4度も違ってくる厄介な存在です。しかし、篳篥の音域は男性が楽に歌える範囲といわれています。歌は一番簡単な音楽の手段。何気なく口ずさんだ歌と同じカーブを、微妙なゆらぎとともに篳篥がたどることができるから、安心感があって、海外の方にもどこか懐かしく感じられるんじゃないでしょうか。よくいうんですが、昔の人間は五感を信頼して生き、自然や宇宙と一体となりえたんだと思うんです。今は道具に頼り、人間に本来備わっている力が著しく衰弱しているけれど、人間である以上、それは使われなくなっただけで、なくなってはいないと信じたい。篳篥や笙の音が、われわれのDNAたちをくすぐり、けっして失われていない感覚を覚醒させることができるに違いない。入口には日本やアジアを持ち出しますが、根幹には人間ならきっとわかる、人間に向けて響くという確信があります。たかだか1000年で人間の感情が変 わるはずがないと信じています。
<PB>宮内庁の楽師を10年務め、独立してフリーになられた。国家公務員だった んですね。
<東儀>はい。昭和天皇の御大喪、御即位の礼、御成婚など、日本にとって大きな節目に楽師として立ち会えたことは大きな経験になりましたし、すごく感謝しています。辞めた理由については、国家公務員はアルバイト禁止だから(笑)、とかいろいろいうんですが、たとえば楽生科にいた7年間、僕は歌謡の歌詞の意味や歴史背景を教わった記憶がないんですよ。どうせ演奏するからには平安時代の感覚に少しでも近づきたいのに、下手をすると先生でさえ知らない。興味がなければないで何の障害にもならない。でも、雅楽固有の宇宙感について喋る人がいなくなれば、相変わらずオブラートに包まれたまま、すぐに足元を掬われかねない。職業音楽家でなく芸術家になるためには、いったん堅牢な塔から出て、外から雅楽を捉え直す必要を感じました。同じ雅楽をやっているのになぜ東儀だけがと怪訝に思う仲間もいるかもしれませんが、僕にしてみれば、同じことをやっていないからといいたい。そのためには、古典においても誰にも負けないという自負がないと胸は張れませんし、例外的な道を通って来たけれど、それが雅楽をやるには一番いい道だったと、今は自身をもって断言できます。
<PB>そしてついに雅楽だけのフル・アルバムをお出しになった。
<東儀>新しい音楽に挑戦しても、核には必ず古典があるということをきちんとアピールしたかったのが一つ。宮内庁を飛び出して新しい音楽をやっているのは、古典が嫌になったからと誤解されるのは心外というのが二つ目の理由です。2000年1月1日発売としたのは、300年、400年の100年単位でなく、1000年単位で語りうる唯一の日本の音楽なのだから、だったらミレニアムに乗 ろうという遊び心からです。
<PB>日本と聞くだけで、つい身構えてしまう身としては、東儀さんの自然体の日本とのつきあい方がうらやましくてなりません。
<東儀>ことさら日本を打ち出しているわけでもないんですが、父の海外出張で外国にいたことなど、さまざまな要因がゴチャゴチャになって一つの箱に混在していた点が幸いしているのかもしれません。もはや中国や韓国に雅楽はなく、日本だけに残っているのは誇るべきことですが、遠く中近東、トルコからシルクロードを通って大陸のさまざまな感情が混血・定着した末の雅楽なのですから、日本だけのオリジナルなんて威張ってられる話でも何でもないんです。ようやく西洋文化が一番という神話が崩壊し、気がついたら日本にもこんなに面白いものがあ ったという機運が高まりつつありまかが、間違ってはいけないのは、何でもジャパネスクでOKという風潮です。危険なのは、誰かが日本の伝統礼讃を叫ぶと皆そっちへ行って、能でも歌舞伎でも雅楽でもゴッチャに全肯定してしまいかねな い。それぞれに独自の色彩が空気があり、着物であれば重ねの妙や色の合わせ方、季節感、素材の質感等、繊細なつきあいが流儀なのに、着物なら何でもよしという流れが主流になってしまう点には注意しなければなりません。独学のせいか、とても感覚的で、雅楽の楽器から素晴らしい特性を引き出した武満徹さんを例外として、僕は現代作曲家の雅楽の扱い方がどうしても好きになれないんです。何で篳篥なのか、笙であればもっと笙たりうる使い方があるのに、人のやっていないことをしたいという単なる競争意識から雅楽を無理矢理取り入れたりして恥じない。雑音も無音も音楽で、雑音が飽和状態のところでたまたま足元に雅楽があってラッキーみたいな(笑)、実験のための実験に雅楽が使われるのはとても悲しいですね。実際、僕も宮内庁時代に国立劇場などに駆り出されて現代音楽を演奏しましたが、演奏する側がつまらなければ聴く側だって面白くない。日本に対するアプローチも同じ。理屈っぽかったり、頭でっかちに日本を考えている限り、必ずギクシャクして来るんじゃないかな。
<PB>東儀さんの音楽には、確かに無理がないものね。
<東儀>何も狙っていませんから。尺八でジャズをやったり、三味線をロックに取り入れるのもいいんですけど、作為的にやると無理が目立ってきませんか。僕の場合、音楽が勝手に出てきて、それが僕にとって気持ちのいい音楽、聴きたい音楽だっただけの話で、西洋と東洋の融合なんて大それたことは考えたこともありません。篳篥に窮屈を強いてテクニカルな超絶技巧に持っていくくらいなら、篳篥を使う必要はないし、珍しい響きを欲するなら、シンセサイザーでいい。簡単なメロディでなだらかなゆらぎを表現して始めて篳篥なのですから。
<PB>東儀さんの音楽は、やもすると癒し系に編入される可能性が高いと思いますが、心外でしょう。
<東儀>そうなんです。心が安らぐといわれると、素直に作った甲斐があったと思 えますし、すごくうれしいんですよ。しかし、音楽の本来のあり方は、たとえパンクであろうとヒーリングに使えるところにあると思うんです。リラックスだけでなく、昂揚も一つのヒーリングなのですから。それなのにわざわざヒーリング・ミュージックと命名すること自体すごく不自然という気がしてなりません。 第一、人間が作為的に人間を癒そうなんて傲慢な話です(笑)。好き勝手にやったことが、結果として癒しになるというのが、一番自然ななりたち方じゃないで すか。
<PB>今後のことを聞くのは野暮ってことですか(笑)。
<東儀>具体的には、先ほどの現代音楽への不満もあって、篳篥とオーケストラがうまく共存できる協奏曲作りに挑戦するとか、いろいろあるんですが、困ったことに、僕には目的意識が全然ない(笑)。目的に向かって脇目もふらずに走らないから、キョロキョロ道草を食う余裕があると好意的に解釈しているんですが。割合に器用なものですから、何でもちょっとずつつまんで、それから先の努力が嫌いという問題もある(笑)。それもまた、そのおかげでボキャブラリーが増えたともいえるわけで、すべての経験が僕の音楽のプラスになっているんですよ。ずいぶん迂回したように見えるかもしれませんが、なるべくしてなっただけ。自然に生きることも雅楽から学んだ大切な教えなんです。

東儀 秀樹(とうぎ・ひでき)/1959年、東京生まれ。
高校卒業後、宮内庁で雅楽を学び、86年に正式に楽師に。96年、デビューアルパム〈東儀秀樹〉を発表し脚光を浴びるとともに宮内庁楽部を退職。フリーの雅楽師としてめざましい活動を続ける。古典楽曲のアルパム〈雅楽 天・地・空〜千年の悠雅〉、オリジナル曲を中心とした〈TOGISM2〉を同時発売して絶好調。

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