-PBインタビュー・コレクション-

ヒクソン・グレイシー

「私は命を賭けて、信念を貫く」

生江有二=文/ヨシ・オオハラ写真
iInterview & text by Yuji Namae/Photographs by Yoshi Ohara

5月26日、東京ドームのビッグ・イヴェント「コロシアム2000」最大の事件 は、パンクラスの船木誠勝vsヒクソン戦。ブラジルに渡った前田光世が広めた柔術を継承するグレイシー一家の三男がにわかに注目を集めたのは、第1回アルティメット・ファイティングの覇者ホイス・グレイシーの「兄の方が10倍強い」発言であった。
400戦以上闘って無敗という圧倒的な強さを目の当たりにして6年目。われわれは彼から知恵を授かるべくLAの自宅を訪ね、神話の域に到達したカリスマの声に耳をかたむけた。

庭に通じるガラス戸を開けると、かすかに南国特有の緑の香りがした。芝生の上で「トー」と名付けられたラブラドールリトリバーが大騒ぎしている。10畳ほどのリビングルームに禅僧の木彫が2体。サイドボードの上にはヒクソンとその妻キムの結婚写真。子供たちの写真も数枚、大切そうに額に入れて並べてあり、典型的な米国人家庭を思わせる部屋である。
ロサンゼルス郊外の高級住宅地マリブに接するヒクソンの自宅。遠くに青く光る海が見えた。
「私もキムもサーフィンが大好きで、ブラジルでは夫婦になる前からサーフィン仲間としての知り合いだった。キムは男に負けないテクニシャンで、20歳になる前からハングライダーとサーフィンのプロだったよ」
バーリ・トゥード、アルティメット等と呼ばれる実戦格闘技の世界で、400勝 とも450勝ともいわれる全勝記録を更新している彼の修行僧のような顔が、サーフィンの話になると、ふっと緩んだ。
グレイシー柔術。ブラジルに根付いたこの格闘技は日本から伝わったものだが、 普通の日本人には今だ馴染みがなく、当初はヒクソンの不敗記録と共に神秘的に語られることが多かった。グレイシー柔術の頂点に立つヒクソンが、日本で連勝を重ねて6年。5月26日、3度目のシングルマッチでは、格闘団体パンクラスの若き領袖、船木誠勝と雌雄を決する。

格闘技はレースではない

<PB>船木戦が近づいているが、特別な練習メニューはあるんですか。
<ヒクソン(以下、R)>南カルフォルニア一帯に私が主宰するJiu−Jitsu(柔術)道場が4つあるが、試合が近づくと、稽古や指導から離れ、戦いを想定したカリキュラムをこなしている。
<PB>グレイシー・ファミリーには「グレイシー・ダイエット」といわれる特別な栄養摂取法があると聞きますが。
<R>運動をサポートするためのダイエットで、フルーツを多く摂るのが特色だね。普通、私は一日に食事を4回とるが、試合が近づくと、これを6回に増やしている。
<PB>それはどんなものでしょう?
<R>フルーツは、たとえばリンゴやオレンジ、バナナをそのまま食べたりジュースにしたり。それに野菜サラダ。プロテインも戦いの前には毎食、摂るようにし ている。
<PB>あの粉末のまずいヤツを、ですか。
<R>そう、プロテインをシェイクしたもの。その後、ツナサンドイッチをつまんだり、パスタを食べたりする。しかし、一食の量は少ない。フルーツといっても リンゴ1個とかバナナ1〜2本程度だね。
<PB>肉は食べないと。
<R>鶏肉とか、少量の肉を食べることはある。これはなにについてもそうだが、頭からあれは悪い、これをやらないと駄目という考えを私はしない。たとえば、機械を使った筋力トレーニングを私はあまり好まない。筋力をつけたいときは鉄棒をするなど、自分の体重をうまく利用したエクササイスをこなしている。しかし、体がマシン・トレーニングをしたいと要求すれば、機械に向かうこともある。同じように肉も、体が欲しいと要求すれば食べることがある。でも、脂の多 い部分は苦手だがね。
<PB>試合を直前に控えた練習方法はどんなものでしょう?
<R>試合前とはいっても、ルーティンで行っている柔術の練習と、さして変わりはないんだ。いつでも戦いというものは予測がつかない。フナキがこう攻めるだろうから、こう防いでなどという練習に意味はないし、これまでもしたことがない。
<PB>船木誠勝がどういう格闘家であるかは、知っていますか。
<R>ビデオで彼の戦いをいくつか見た。私が(97年、98年と2度戦い)勝ったタカダ(高田延彦)より完璧で、もっとリアルなアプローチで戦いに臨むファイタ ーのように思う。だからといって、フナキはこういう戦い方をするだろう、などという見方はしない。実際に戦ってみて、ファイトそのものに私の体と心が反応 し、彼が犯すミスを見つけだす。そのミスを利用するのが、セルフ・ディフェン スとしての柔術を稽古してきた私の戦い方。今までと何も変わりはない。
<PB>船木誠勝は40歳のあなたに比べて、はるかに若い(31歳)が。
<R>私の対戦相手が何歳であるか、あるいはどのくらい強いかは問題ではない。重要なことは、そこへ行ってどう戦い、何を得るかということだ。
<PB>40歳という年齢は、戦いには無関係ということですか。
<R>私は、今の今、生きていることがすべてだと思っている。自分が何歳か、何歳になったから引退しなくてはなどと思って生きてはいない。時間(年齢)というものは他人によって決められるものでなく、自分の心と体で理解していればいいだけのこと。年齢などを気にせずにいれば、人はもっと強くなれるし、もっと強健な人生を送ることができるはずだ。
<PB>この戦いが最後だという気持ちで戦っているわけではないということですね。
<R>人はいつ死ぬかが分からない。死ぬときは死ぬ。同じように、いつ引退するかなどということは、人生にとって無意味な考えだと思っている。確かに若い頃はエネルギーにあふれ、筋力も今より強かった。しかし、強い力ばかりに頼るあまり、かえってナーバスになることが少なくなかった。
<PB>日本には小枝のような老人が、剛力の若者を苦もなくなぎ倒したという逸話が、いくつも残っています。つまり、若さや年齢は凌駕できると?
<R>水泳のように筋力の強さ、肉体のバランスが重要なスポーツはわからないが、格闘技はレースではない。 体力がすべてではなく、修練を積めば相手に対してどう対処すればいいか、相手がどう動くかが分かるようになる。これ以上、本当に戦えないと私の体が知ったら、後進指導をしながらその後は遊んで暮らすよ (笑)。その日が来るまで、最初に戦ったときと同じ気持ちで私がマットに立つことに変わりはない。

ダウンタウンからやや離れたグレイシー柔術の稽古場は2フロア。マーシャルアーツ系の格闘技団体と共用していた。対船木戦の観戦ツアー案内が貼られた部屋に、稽古着に着替えた少年がやってくると、ヒクソンは気軽に声をかけ、手を差し出す。世界のヒクソンに握手される光栄。しかし、少年たちは笑顔を見せながら、平然とヒクソンと声を交わしている。年齢や技の練度に関係なく、共に柔術を学ぶ者として、子供もまた仲間であるということなのだろう。
1914年(大正3年)、講道館柔道の世界的普及を目指すため、海外に派遣された武道家・前田光世(尊称コンデ・コマ)がブラジルにやってきた。前田は世 話になったスタホ・グレイシーに乞われ、その息子カルロスに柔術を教える。カ ルロスは息子たちに柔術を仕込み、そのうちのひとりエリオは、数々の他流試合をしながら勝ち続け、グレイシー柔術を不動のものにする。エリオが唯一負けた相手は、ブラジルの日系社会が呼んだ柔道家、故・木村政彦だった。
エリオの息子がヒクソンであり、その兄弟ホイラー、ホイスなどもすべて柔術家 として国際的なマットに立っている。
一族がすべて柔術を体得している。その証はフィルムに残っていた。まだオムツ が取れたばかり、歩くのもままならぬ幼児のヒクソンたちがマットの上、稽古着 姿でじゃれ合っている。いや、じゃれているのではない。大外刈り。そしてなんと、倒れた兄弟を腕ひしぎに持ち込もうとしている。遊びではなく、乱取り(スパーリング)をしているのだ。
90年近い伝統とその間に鍛えられた技は、これまで無敗のヒクソンを生み、柔術の母国日本では、誰が無敗の王を破るかが格闘技界の大きな話題だった。
船木誠勝。青森県の貧しい母子家庭に育ち、中学卒業と同時に新日本プロレスに入門し、15歳でデビュー。その3戦目を私は取材している。若い船木は敗戦後、 口からわずかに血を流しながら、後楽園ホールの非常階段にひとり座り、悔し涙をにじませていた。
「負けたのが悔しいのではない、何もできない、プロレスになっていなかったことが悔しい」。
それから15年余りが経ち、船木は不敗神話に挑む男に成長した。

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戦いの最中はとても快適だ

<PB>柔術トーナメントに初出場が6歳の時と聞きましたが。
<R>7歳にならないと出場できないのだが、あのときは年齢を偽って出たんだ。
<PB>あなたも船木のデビュー当時と同じく負けて泣いたというが。
<R>船木と違い、感情をまだコントロールできない子供の私はただ悔しくて泣いた。それからもたびたび負けたが、16歳で柔術を指導する側に回り、18歳で黒帯になってからは一度も負けたことがない。しかし、戦いに勝つために全力を尽くすが、敗北を私は恐れているわけではない。
<PB>戦いは勝ち負けだけではないと……。
<R>戦いにはベストを尽くす。しかし、仮に敗北しても、なぜ負けたのか、理由が分かれば、次回に勝つように練習すればいいだけだ。強いスピリッツというのは、敗北を自分の利益になるように変える能力のことだと私は思っている。
<PB>負けることも学ぶ道程のひとつだというのですね。
<R>そう。だから私は勝っても半分は負けたものと考えた方がいいと思っている。今、勝ったとしても、次の戦いには無関係なことでしかない。心の中で敗北の可能性を重んじ、いつも敗北を念頭に置くことで初めて、自分の中に勝利への展望や心構えができるものだ。
<PB>そうした心境は柔術を学ぶ中で培われたものですか。
<R>柔術の稽古と、戦いの中でだろうね。
<PB>戦いの間、あなたは口を閉じて戦っていることが多いですね。
<R>……(それが何だという目)
<PB>つまり、非常にリラックス、かつクールに戦っているように見えるんですが。

<R>それは内面的な強さととても関係があることだ。説明するのは非常に難しいが、(鍛錬すれば)その境地を感じるのは、とても簡単なことなんだ。
<PB>戦っている最中、頭に血が昇るようなことは?
<R>まったくない。むしろ(戦いの間)安定していてバランスが取れ、とても快適な状態なんだ。
<PB>日本では“気”、つまり生命エネルギーが丹田に降りていれば、バランスよく何ごとにも動じない体でいられるといわれてきたが、あなたは“気”をご存じですか。
<R>自分にそれを問うたことはないし、興味も持っていない。ただ、私は長くヨガをエクササイズに取り入れてきた。ヨガについてはいろいろな解釈がなされて いるが、ヨガの稽古を長く続けることで、自分自身の情動をより理解できるようになるだけでなく、自身を完璧にコントロールすることができると確信してい る。
<PB>呼吸法もヨガの方法を取り入れているのですか。
<R>そうだ。極端にいうと、トレーニングでも、リアルファイトでも、踊っていてもセックスをしていても、ヨガで培ったものが役に立っていると思う。でも、それは何だといっても、なかなか言葉では言い表しにくい。私自身の体では分かっていることなんだが。
<PB>体内を流れるエネルギーと関係があることなんでしょうね。
<R>これは人にいってもなかなか信じてもらえないが、私は自分で体のある部分にエネルギーを動かすことができる。
<PB>エネルギーを動かすというのを、もう少し具体的に聞かせてください。
<R>物理的に(エネルギーを)動かすことが可能なんだ。稽古や戦いの中で私は無数の怪我をしてきたが、西洋医学の抗生物質などは症状にマスクをかぶせるだ けで、根本的な治療にならないことが多い。そうではなく、体の中のポジティブなエネルギーを患部に送り、治したことが何度もあった。


興味はないと語りながら、ヒクソンの話すことは、まさしく“気”そのものだった。“気”すなわち生命エネルギーの存在を概念でなく、身体で実感し、体得しているのだろう。
「タバコは吸ったことがない。酒は特別な場合に少し飲むことはあるよ。夜遊び?」
サーフポイントのある浜辺に行くことになった。ヒクソンはフォード製4WDの上級車エクスカージョンを自ら運転しながら話す。
「若い頃は夜遊びの誘惑に駆られて仕方がなかったよ」
そういうと、助手席に座る妻キムに穏やかな笑顔を見せた。
ヒクソンはカリスマのような生き方をしているわけでもなく、禁欲的な生活を自身に強いているわけでもなかった。ただ、自らを格闘家と認め、その規定に外れない生き方をしようと、つねに心がけているのだ。それは宮本武蔵を尊敬し慕う姿にすべて現れていた。

最後はフナキに握手を求める

<PB>来日したときは日本の変わりようにずいぶんがっかりしたようですけど。
<R>日本はコンデ・コマの住んでいた国、サムライというオールタイム・ウォリアーズ(戦士)がいた国なので、期するものはあった。
<PB>初来日は94年ですね。
<R>残念ながら、私が武士道や武蔵の残したものから知った哲学や、日本に対する概念にはギャップがありすぎた。ストレス。ワーカホリック。しかも何かに憑かれたようにみんなが走り回っている。西洋の影響が日本の文化に深く入り込んで、東洋のスピリットがなくなってしまっていた。確かに経済発展には寄与したかも知れない。しかし、サムライが最後まで戦い、ついには相手の首級を取るということに代表されるような、日本の精神性はすっかり失われてい た。
<PB>宮本武蔵にその精神性を見るのですか。
<R>武蔵は剣に対して無制限なほど自分の生涯のすべてを捧げたサムライだと私は思っている。試合に臨んでは、いつも対戦相手がどう出るかに対処し、素早く攻めて勝利する能力があった。
<PB>武蔵が書いた『五輪書』は個人戦や集団戦でどう勝つかという戦術書であり、合理的な戦い方を教えています。しかし、死ぬ一週間前に書いたとされる『独行道』の中では「恋慕の道、思いよるなし」、つまり、女性など愛したことがないといっています。
<R>私には武蔵の心がよく理解できる。
<PB>本当に理解できると。
<R>剣に生きるあまり、女性を愛さないという生き方はあり得ると思う。それが 正しいことだとは思わないが、剣がサムライの腰にあった時代なら、そうした生き方を求めた者がいてもおかしくない。武蔵はそういう男だったということだ。
<PB>しかし、寒々として空虚な人生だとは思いませんか。
<R>確かに。だが、それは剣の時代に生きた武蔵の選択であり、私はそれを尊重したい。仮に今が戦争の時代なら、私は、わがベストフレンドはマシンガンというかも知れない。
<PB>ではヒクソン、あなたは何に生きようとしていますか。
<R>私が人生をやっていけるのは心で感じる愛情があるからだ。家族。生徒。友 人――愛のないアートを私は信じない。私は、私の人生そのものを柔術の作り出 すアートそのものにしたいと願っている。柔術を通して人々の生活を(よい方向に)変えることができると確信している。だから柔術を愛するんだ。つまり、この時代に生きる私にとって、愛のない人生など信じられないことだ。私は命を賭 けて、その信念を貫きたいと思う。
<PB>対戦相手に対しても、あなたはいつも尊敬を忘れないといってますね。
<R>バーリ・トゥードなどのリアルファイトは、言葉通り「何でもあり」と解されているが、ストリートファイトをするわけではない。戦いは暴力的で、ときに流血を見ることもあるが、陰惨で残虐なケンカではないんだ。戦いは尊敬、品位、情熱といったものと、厳しい修練の末に得る高度な技を、お互いにリングで駆使する。それはフナキに対しても同じ気持ちであり、今回も最善を尽くした後は尊敬を込めて握手を求めていくだろう。

トパンガビ−チと呼ぶ浜辺にはオーバーヘッドの波が立っていた。しかし、ブレイクポイントが狭い。サーファーがわれ先に乗ろうとして喧嘩になっている。「浜から眺めていてね、あまりに自分勝手なサーフィンをする者には、あそこまで行って注意をしたことがたびたびあった」
低音のヒクソンに注意を受けた者は、それに従うのだろうか。それとも不敗の王者と知らず、喧嘩を売られたとでも思うのだろうか。
「海に入ったり、太い樹々の中を歩いたり、滝に打たれたりすると、自然と一体になった感覚があり、体内のバッテリーがチャージされるんだ」
最後までスピリッチュアルな言葉を話すヒクソンが、船木誠勝と戦う「コロシア ム2000」の日まで、すでに1ヶ月を切ろうとしている。

ヒクソン・グレイシー/1959年11月21日、ブラジル・リオデジャネイロ生まれ。
幼時より父エリオの薫陶を受け、6歳から試合に出始め、現在まで無敗。77、78年全ブラジル・レスリング選手権、80年サンボ・パンアメリカン大会を制覇。バーリ・トゥード94ジャパンオープンに初来日して優勝を果たし、95年も制する。97年のPRIDE1では高田延彦をあっけなく下し、翌年も返り討ちをはたす。89年に渡米、現在はLAに道場を構える。身長178cm、体重84kg

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