-PBインタビュー・コレクション-

町田 康

田中茂朗=インタビュア/立木義浩=撮影

パンク歌手、俳優、詩人、創作浪花節でアッといわせて、ほどなく『きれぎれ』が第123回芥川賞受賞。肩書だけて知った風な不埼な輩は八方破れというわけだが、イメージでくくれば一安心という安易な場所から過剰にズレてしまう魂の仮の名前が町田康。経済ばかリがのさばる世界に苛立ちながら、うずくまる日本人の肩をポンと叩いて目を覚ませと。

ライヴハウスの打ちっぱなしのコンクリートに野太く図々しいノイズの塊が共鳴し、窒息寸前でフラフラな脳は、せわしない音圧攻めで覚醒しているか酩酊しているか、これも音楽なのかと整理整頓する暇もなしに、ただただ耳の奥までじんじんしびれっぱなしなのだった。愛欲人民十時劇場、非常階段、暗黒大陸じゃがたら……怪し気なイベントやライヴに日参しながら、あてがいぶちのロックでヘラヘラ笑ってられるほど面白くねえやと毒づき、とんがった空気を共有しているだけで、何とはなしに充足していた。合言葉は「逃走せよ」。オヤジたちの価値観を笑いのめし、すべてを疑い、いや、腕を組んで疑念にとらわれることからも逃げてしまえ。アンチじゃなくて非。正と反がせめぎあうだけの土俵からスタコラ逃げ去ることこそ尊いのだと。

逃走が尊ばれた80年代は暗黒の10年だった。

<PLAYBOY(以下PB)>80年代、町田さんの率いるINUは、『メシ喰うな』のカルト的パンクバンドとして轟いていたけれど、御自身、居心地はどうでしたか?一部の熱心な自主レコード制作者やプロモーターの頑張りが、辛うじてブームを形成していたという意見もありますが。
<町田>非常に地味だったと思います。ライヴの観客も一見威嚇的な服装をしていたりするんだけれども、流行に乗り切れない人たちの受け皿になっていたんじゃないですかね。
<PB>ちょうどその頃、浅田彰さんたちがニューアカともてはやされましたね。黒っぽ いブランドに身を包んで軽やかに逃走する態度が当時はカッコいいと信じていたけれど、結局はバブルに踊らされていただけだった、そして何も残らなかった――最近80 年代に活躍していた人がそういう反省を口にしていたりしますが。
<町田>僕の80年代は暗黒の10年でした。
<PB>町田さんの80年代が暗黒とは意外です。
<町田>ちょうどいい20年だったと思います。あと10年くらいで行くところまで行っちゃえばいいんじゃないでしょうか。80年代は、話していて何かを真剣にいうと馬鹿みたいな感じがありましたよね。つねに冗談ばかり考えていて、日本人は20年かけて完 全に言葉を棄てた。
<PB>真剣に話す癖がなくなってしまった。
<町田>自分の中に真剣なものがあるはずだという風に一回棚上げして、普段は冗談は かりいっている俺だって、いざとなりゃあと思っていて、じゃあそろそろ真剣になろう かなと仏壇の戸を開けると何も入っていなかった、中身が蒸発してなくなっているような状態だと思います。
<PB>特に80年代の後半から、様々な脆さが露呈してきて、今そのツケを払わされている感じがしてならないんです。
<町田>景気がよかったし、バンドブームもあって、その状況の中で自分は何もやりたくなかった。約3年くらい表立った活動を何もしていなかった時期もあって、非常に暗 かったような気がします。でも、その時代に見聞きしたことは自分にとても役に立っている。発言する人は他人の話を全然聞いていません。喋らない人は他人の話を基本的に 聞いている。自分の場合も当時、表立った活動をしなかったことによっていろいろな思いや気持ちが自分の中に溜まっていき、それが、今の表現の栄養になっています。
<PB>町田さんは以前「パンクに精神なんてなかったし、個性のない人が服装で自己主張したいときに便利だっただけ。破壊する対象がなくなって途方にくれているっていう感触がある」と発言されていたけれど、社会を変えたいという欲望は最初からなかった と。
<町田>16歳くらいで音楽を始めた頃は非常に真面目で、スタートがパンクですから、世の中にかかわりたいという非常に真面目な動機でやっていたと思います。東京でバン ドを始め、というと、一方で、スマートな、裕福な家の子弟の道楽という印象もありま すが、僕らは非常に泥臭く、態度こそ生意気でしたが、動機の部分では非常に真面目だ った。可愛いものでした。
<PB>パンクでイメージされるような荒れた生活はなかった。
<町田>セックス・ドラッグ・ロックンロールみたいなことは苦手でした。
<PB>去年、2000年中にはライヴをやるとおっしゃっていましたよね。
<町田>最近、新聞や雑誌に載るときに「元パンク歌手」と書かれることが多く、その「元」を取ることを具体的に計画しています。まだ公表はできませんが。
<PB>社会を変革したい欲望は?
<町田>社会を変えたいというより、社会によって自分が変えられたいと思います。社会の中に生きているわけですから、社会の中で自分がズタズタになっていかなきゃしよ うがないんじゃないでしょうか。また一人の人間の思惑によって社会が変わるなんてことはありません。例えばCDを800万枚売ったからといって、社会を変えたということになるでしょうか?変えるというより、響きあう方が大事なんじゃないでしょうか。

一般的なイメージでは割り切れない。

「参道の突き当たりに巨大な石垣と空堀。対岸に石段。石段の上にメインの拝殿がある のだろう、と俺は判断。石橋を渡った。空堀の底に鹿や鶴が蠢いていた。ところが俺は 騙された。なんにもありゃしねえじゃねえか。なにもないじゃん。これだけ思わせぶりな、いかにも立派な拝殿がありますよ、という風にしておきながら、石段の上には神社もなにもなく、ただの更地というか、曖昧な空き地で、敷地を縁取るように雑草が生えていて、弁当の食い殻、ガスレンジ、生ゴミなどが放置してあって、水などまるでな い。むかつくぜ。むかつくなあ。いつもこれだ。いつだって到達ポイントにはなにもな い。こんなんだったらあんな神社、それも大きな柱みたいにするなっつうの。喉、渇いてんだよ、こっちはよお。と激怒する気持ち半分、しかし、喉に、挨、おなもみなどがへばりついたように痛く、情けない悲しい気持ち半分で更地をよろぼい歩き、登ってき た石段と反対のがわに行くと、きらきら光る光の帯。川。その川の畔に大観覧車。土手の上の道路を走る自動車の前ガラスに反射する光が、クラクションの音が、排気ガスの香りがここまで、こんな嘘の神社にまで届いている。あすこには水がある。言葉がある。いつまで、こんな嘘の神社に拘泥していてもしようがない。行くぜ。行こう。人間の世界へ……」第123回芥川賞受賞作『きれぎれ』。昔、ラジオから聞こえていただろう落語、浪曲、浄瑠璃、あまたある口承芸能の富を貪婪に呑み込んで、ねじれながら息 を吹き返した言葉たちが、眼から飛び込み耳におよんで、じかに神経にめり込んでしび れさす。饒舌、狸雑、過剰、雑食……様々に形容される文体は、小説を固定的なイメージでとらえる限りは、ご覧のように型破り。言葉がインフレを起こして全体に軽くなり、コミュニケーション機能不全に陥ってしまった現在のリアルなありようを照らし出すようで生々しい。とびきり罪な確信犯。床にコロリと寝そべっては読めない。

<PB>町田さんの文体にはラップや黒人のお喋りとの類縁性が感じられるのですが。
<町田>黒人の、何のどこを指しておっしゃっているのかがよくわかりませんが、例えばアフリカ系米国人のこととして、彼らは彼らで自分たちの英語にプライドを持って文化を育んでいるのですから、それに対して「黒人はお喋りだよね」というレッテルを貼 って一行で片づける風にはしたくないんです。恐らく、いまおっしゃった黒人って言葉 で、皆、何となくわかったつもりになって、「まあ、こういうことにしておきましょうや」ということで世の中収まるんでしょうが、「そうだよね」といい、でも考えてみると「え?ほんとにそうか」と観察してゆくと、わからないことだらけだと思います。 イメージで割り切ったつもりでも、問い詰めると意外にまったく違うってことが割に多 いような気がします。
<PB>会話を鍵括弧でくくらず、ポンと地の文に溶かし込むような文体は独り言に近いような気がするんですが。
<町田>独り言ではありません。こういう場所で文体について説明するのは困難ですが、一例を挙げれば、ところどころに、間投詞の如きを挿入しているのはノイズです。 ノイズが表現に入っていないと面白くないんです。楽器も純粋な楽音だけでやっていると面白くない。いろいろなゆらぎや歪みがあって初めて音も表情を持ってくるし、人の心に響く部分があるのです。文章表現それ自体は特殊なかたちで発達しているので、何も無理矢理音に引き寄せる必要はないと思うんですが、そういうノイズ的な要素が入っていた方が、文章が豊かになると思います。
<PB>絶えずノイズを意識されているわけですか。
<町田>絶えず、ではありません。
<PB>書いていて、煮詰まって手も足も出ないという経験は?
<町田>創作上の行き詰まりを行き詰まりとは思っていません。基本的に、行き詰まっていないと先に行けないのです。ずっとスラスラ行っていると何もできていない気がする。つねに引っかかりを感じながら歩いて行きたい。
<PB>町田さんの日本語は異端呼ばわりされることがありますね。
<町田>純粋な日本語というものはありません。純粋は一つのファンタジー、フィクションですから、その中で「俺は正統」とか「お前は異端」という議論をしても意味がない。

先のわからない状態を手探りで歩いて行く。

ひとたび普通の人間が蔑ろにしがちな言葉の意味に蹟くと、世界は途端に謎めき、わかったつもりという自明性がガラガラ音を立てて崩壊していく。町田康にとって、書くとは、いったん流入した言葉を白紙に戻して詮索し、定義し直して解き旅2行為をいうのではないだろうか。

<PB>町田さんの小説は無手勝流に見えて、そのじつ相当徴密に作り込んでいて、あらかじめ何を書くかが明確なのではという印象があるのですが。
<町田>書きながら考えています。先の結末も決めていないし、一寸先のことは見えていない。人間の命は風前の灯火といいますが、小説というもう一つの人生を、まったく先のわからない状態のままに手探りで歩いています。
<PB>書き直しはされますか。
<町田>大幅に手を入れることはありません。
<PB>御自身の作品を読み直すのはお好きですか。
<町田>書いた直後は読みませんが、3年くらい経って読むことはあります。
<PB>いいこと書いていると(笑)
<町田>エッセイは書いたことすら忘れている場合がありますから、一冊にまとめたときに「ああ、あの頃の自分の問題意識はこういうところにあったのか」と思うことがあります。
<PB>エッセイの方が肩に力が入らないということもあるんでしょうか。
<町田>そういうことはありません。
<PB>先ほどの漠然とわかったつふもりになっている意味が腑に落ちないというお話ですが、イメージや観念で皆が納得した気になっているものとのズレを生きることが、町田さんの出発点なんでしょうね。

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魂のことをやりたい。ジャンルなんて関係ない。

「見たものは皆殺されたときの思い出か/俺は金持ちに金持ちに生まれたかった/高い車に乗って/墓にはまって内臓がぐちゃぐちゃになってしまった/「おまえボリス・ヴィアンいつ死んだか知ってんのか?何が真実(ホンマ)の価値あんのか知ってんの か?」「クアッパ」/生命保険できれいな花を買おう/肺癌にかかって嬉しくて舞い踊 ろう/快適を求めて老衰で死のう/天然ダイアモンドが欲しい人は/人造うんこを食うたらいい/天然果汁で溢れんばかりの/脳無し女が口淫してくれるので/豆食うて笑う /いやらしいことで充血した頭で/ふらふらふらつくとき/希望と正義と平和を一八○ 円で買っておいしいな/おいしいなあおいしいなあ/くわっはっはっ/希望と正義と平和を一八○円で買って!」(「ボリス・ヴィアンの憤り」)。パンク歌手・町田町蔵は、兇暴なフニャフニャ感とでもいうべき歌詞が際立っていた。詩人は究極の一言を探す人であり、小説家はえんえん終わらず続いていく散文の運動に身をゆだね、終わったと思ったら、それが次の作品をおのずと呼び寄せてしまうような残酷な経験を生きる人なのではないか、と、ふと思う。詩と小説を分かつものは登場人物であり物語であり、もっといえば流れていく時間の有無でもあるだろう。詩人から小説家へというプロセスを踏む作家も少なくはない。今もなお詩人であり、詩では表現しきれない衝動が小説家・町田康の誕生につながっていったのだろうか。

<PB>詩で表現できないものが少しずつ溜まってきて、それで小説を書き始めたという判断についてはどうお答えになりますか。
<町田>「あなたはいったい何をやりたいのですか」「あなたは自分をどういう風に表現 したいのですか?」などという人がありますが、自分だけでは何ひとつ成就しません。自分以外のものがたくさん影響していて、その結果として出てくるものがあるのです。 その響きの中で自分は小説を書いているのだと思います。
<PB>詩では書けずに、小説でなら書けるという問い自体がおかしいと。
<町田>自分とはそんなに揺るぎのないものではありません。これだけのことができて、これは駄目で、こっちなら俺のこれが出せるぜ、提示できるぜというのは違う気がします。その中に自分が入って行って、様々に翻弄される。ツールとしての表現のジャンルや媒体という風に考えたことがなくて、魂のことというか、ずっと気持ちやハート の部分でやってきたと、自分では思っているんですけれど。
<PB>肩書は関係ない。
<町田>「いっぱい肩書がありますが、本当は何なんですか」「どうですか、作家になって」などと聞かれる機会が多いんですが、僕は何かになるってことにまったく興味がありません。結局は自分の魂の問題ですから、なってどうこうって話じゃない。

小説を書きながら、文句をいうのは女々しい。

デジタルメディアの伸張によって、出版界全体がドラスティックな変化をこうむるのは時間の問題。そんな中、作家が電子メディア時代をどうサバイバルしたらいいのか、議論が紛糾中である。『つるつるの壷』収載のエッセイで、詩の場合はボールペン、小説とエッセイは。パソコン、なぜならば「……歌詞というものは、歌ってなんぼの世界である。書いた時点で完結してしまっていたのでは面白くもなんともない。ところ が小説の場合、読んでなんぼの世界なのであって、字だけである世界を成り立たせなければならぬ 。つまりパーソナルコンピュータは、一瞬、一瞬を決定・整理していくための機械であり、紙とボールペンは、一瞬、一瞬をなるべく混乱させる、決定を先送りさせるための道具である。だから、わたしは、自分は、小生は、かかる高銭を払ってまでパーソナルコンピュータを使っているのであった。なるほど。なるほど。やっと分か った。と、自分を無理に納得させたけれども、しかし自分は、今も使っているのだけれども、先日、移動中も原稿が書けるように、ってんで購入した、いわゆるところのノート型パソコンの購入代金約四十万円、これがいったい四面 字詰原稿用紙何枚分に相当 するのか考え猿のような顔」(「顔各種」より)と書いた町田さんのことだ。書くだけではなく、売る世界にまで拡張していきつつある近い未来をどう見ているのだろうか。

<PB>部数の少ない純文学は、むしろインターネットで流通した方が読者に届くという議論がありますね。
<町田>たくさん出版されているものの中から自分が読みたい本を探すには便利だと思うんです。しかし、表現のこととなると話はむずかしいと思います。詩を書いて投稿 し、選者に認められてやっと活字になるというのは実に面倒臭い。そこで、じゃあウエブ上で発表しようと考えて、で発表する。そうすると今度は詩を読みたい人が困ります。いい詩を読みたいのに、素人のとんでもない詩が検索に引っかかってきますから。ユーザーとしては、そういう問題もひとつあるとは思いますが。
<PB>御自身のホームページで作品を配信しようとは思いませんか。
<町田>思いません。
<PB>第一、ネット上での経済的な保障がまだ整っていないような状況ですからね。
<町田>いや、それが理由ではない。経済の原理ということ自体、人間にとって間違っているんでね。経済で考えると、大体間違えるんです。本当は経済の原理を一回外して考えるのが一番いい。心と経済は必ず矛盾しますから。矛盾の中であがいていくしかないでしょう。
<PB>純文学を書くってこと自体、経済の物差しで考えると、これほど非合理なことは ない。
<町田>フィクションにまみれなければならない。まみれながら何ができるかということだから。「小説を書いて儲からないから嫌だよ」というのであれば、職業選択の自由 が憲法で保障されているわけですから、嫌であったら止めればいい。儲かる仕事をやればいいので。やりながら文句をいうのは女々しい行為です。誰に頼まれてやっているわ けでもないのですから。
<PB>こんな車に乗りたいとかは思わないと。
<町田>その手の欲望は希薄ですね。自分がこれをやりたいって欲は強いんですが。だから本当に欲しいものといったら、いまは時間です。音楽や小説のための時間は欲しいけど、経済的に自分の欲望が制限されることはありません。
<PB>現状に満足していると。
<町田>現状は、小説を書くのが“自分”の仕事です。ただし、自分の仕事ばかりだと表現が貧しくなってしまうような気がするんです。お互い支えあうような関係で仕事ができるかでうねりが違ってくる。グルーヴがないと、生きている実感がない。
<PB>俳優業はいかがです?
<町田>やはり現場が面白いです。俳優以外の関わり方もしたいですね。
<PB>宗教への関心は?
<町田>宗教的なもの全般に、興味がなくもないんですけれど……人間の死に関しては深く考えるところがありますね。
<PB>昔からですか。
<町田>最近です。若い頃は考えようとしても考えられなかったけれど、身近な人を亡くしたり、ある程度年齢が高くなってくると、どうしても考えざるをえません。自分の死についても考えることが多くなりました。

「文学界」9月号収録の藤沢周氏との対談で、町田さんはこう語っている。

「結局僕は、これは人間としての欠陥なのかもしれませんが、言葉でしか興奮できないところがあるんです。自分は言葉によってしか現実と引っかかりが持てないのでは、と思うことが時々あります。そう言うとますます、藤沢周作品の登場人物のようになってしまいますが(笑)。自分が書いたものによって自分が興奮するという、高速増殖炉のような感じ。言葉のリサイクルというか、一回燃やして出た言葉のゴミをもう一度自分の中に取り込んでいく作業を無意識にやっている感じがします。ある意味日本的な、本歌どりの駄目バージョンみたいなものです」。 内的要請にかられて一回燃やした言葉を再度おのれに取り込むという、なんと厄介な 魂。この魂に対して、「パンクが芥川賞かよ」といったくだらない早合点は的外れもいいところに違いない。 取材にはきっちり時間通りにあらわれるパンクチュアルさ加減に感心すると、「下 世話な言葉でいうと、売りでありまして」と笑い、よく問われる質問で恐縮ですが、というと、音楽と同様リピート、リフレインは大切で、同じことを繰り返すのは割と好きだといって、問いかけに耳をすまし、ときに曖昧な質問に鋭く突っ込みを入れつつ終始 真正面で受け止める姿勢がクールでグルーヴイ。「こういう真っ暗闇のような状況の中で、我々は日々ゴミを買い、ゴミを捨て、ゴミの中で今後苛酷で困難な時代を生きていかなければならないということになります。そして私はまた歌を作って歌わなければ ならないということになるわけです」
(講演「人間の屑と聖書」より)。
人間という奴はもともとダメ人間なんだ、としばしば発言する町田さん。まっとうという言葉があらわすところを深く考えもせず、けれど、まっとうであれと自分に命令するばかりだから、自分にひどく疲れ気味。そんな人間の肩をポンと叩き、小賢しい分 別とおさらばせよと励まされたような気がして。

町田康(まちだ・こう)/1962年、大阪生まれ。
大阪府立今宮高校在学中よりロックに目覚め、1972年にパンクバンドINUを結成。81年解散後も音楽活動は現在もなお継続中。俳優としても活躍しつつ、詩集『供花』『壊色』、96年に発表した処女小説『くっすん大黒』でドゥ・マゴ賞、野間文芸新人賞を受賞。著書多数。第123回芥川賞受賞後第1作となる小説『実録・外道の条件』(メディアファクトリー)も好評。

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