-PBインタビュー・コレクション-

伊東 浩司

「それでも、10秒の壁は必ず破る!」

折山淑美=インタビュー・文/高橋昇=写真
Interview & text by Toshimi Oriyama/Photographs by Noboru Takahashia

陸上競技100mの世界では、過去10秒の壁を破った30人は、すべて黒人選手。日本人が9秒代を出すなど遠い夢だと思っていた。「100は素質がすべて」というのがごく一般的な見方だったろう。伊東浩司は、この“陸上の常識”を打ち破ってきた。昨年12月、アジア大会において10秒00の記録を出し、さらに今年6月には手動計時ながら9秒9を出した。才能ではない、陸上選手としては決して若くもない。努力によって、30才を間近にしてここまでの記録を出した。その練習方法も“掟破り”だという。8月に行われた世界陸上では、残念ながら9秒台はおあずけとなった。だがこれは、伊東の限界への挑戦の、単なる通過点でしかないのだ。

8月上旬のその日、鳥取市は最高気温37.5度を記録した。午前に1時間ほどのウエイトト レーニングをした伊東浩司が、布施陸上競技 場にやってきたのは、日差しも傾いた午後5 時半頃だった。午後も4時過ぎからウォーミングアップ代わりのウエイトをしてからのグランド練習だった。6月末から約1カ月に及ぶヨーロッパ遠征を行った彼は、7月23日に 帰国して札幌入り。翌日夕方からの世界選手権派遣選手壮行会に顔を出すと、25日の午後には帰郷。そのまま家には戻らずに、'92年 の冬からトレーニングをしている鳥取のトレーニングジム、ワールドウイングに場所を移し、8月20日からの世界選手権(世界陸上セビリア大会)に向けたトレーニングを始めていた。この日の前日、鳥取に来て以来初めてトラック練習が休みだという伊東 は、かなり疲れた表情だった。それでも午前と午後のウエイトトレーニングの他 に、夕食後は9時近くまでエルゴメーターを踏んでいた。グラウンドに入った伊東は、ジムから持ってきた古いスターティングブロックを使い、スタート練習を始めた。スタートを変えようとしているという彼は、ピストルの音に合わせて何度もスタート練習を繰り返すが、納得いかないようだ。120m走を2本行い、再びスタート練習を始めた彼は、一度上げた尻を少しだけ下げるようなフォームに 変えた。先程よりスムーズに加速している。「どうですか?だいぶ感じがよく なったと思うんですけど」 確認するように声をかけてきた伊東の表情には、やっと納得したような安堵感が浮かんでいる。僅かなカクテル光線に照らしだされた競技場内の時計は、もう8時を指していた。毎回、狙っている世界が近づいたり遠のいたりしている。

<PLAYBOY(以下PB)>普通ならもう、大会に向けた調整をしている頃のはずですが、かなり追い込んだトレーニングをしているんじゃないですか。
<伊東>夜中の11時頃まで、倒れるくらいまで練習することがあると言ったら、他の選手は驚くでしょうね。でも今は、何をしたらいいのか分からない部分もあって、一生懸命練習をしているんです。練習をしてても、グランプリ(以下の注を参照)で一生懸命走った周りのレベルのスピード感覚を求めているんですね。周りの人から練習のタイムを見て「オッケー」と言われても、僕らがグランプリで走った感覚はもうちょっと速かったとか、この辺が駄目だったから改善しようとか、今何かしらやらなくてはという気持ちになるんです。今考えたら、グランプリではとてつもない人たちの中でごちゃごちゃと走っていたんだな、という気がしますね。これが日本で徐々に調子を上げてきて、最後の方には日本人に大差で勝ちまくるという高野(進)さん流の仕上げ方をしていれば、世界選手権でも走れそうな気はするんでしょうが、レベルが上の選手たちと走っていたから自分の調子が分からないんです。特に200mはグランプリ病のような感じで、ふたを開けてみないことにはわからないんです。ビジネス抜きで公正に記録を評価してくれて、有利なレーンに入れたらどうなるのかと期待はしているんですが。

注:グランプリ……陸上競技「国際グランプリ」。トップクラスの選手が世界各地を転戦して、ポ イントで年間王者を目指す。今年は全18戦。年間総合ポイントチャンピオンの賞金20万ドル。種目ごとのポイント1位の賞金は5万ドル。
<PB>昨年は100mが世界ランキング10位の10秒00、200mは7位の20秒16を出していますし、3月の世界室内(群馬)の200mでも決勝進出。かなり世界は 近くに見えてきているのではないですか。
<伊東>毎回、毎回なんですけど、狙ってる世界というのが近づいたり遠のいたりしてるんです。春からグランプリを転戦した今年は、世界というものがだんだん違う方向に見えてきたんです。日本から見る世界とは違うんですね。グランプリでも最高峰のゴールデンリーグ(以下の注を参照)に出場した時の衝撃は凄かったですね。これが世界なんだ、と思いました。一緒に走るメンバーもそうだけど、他の種目を見ても「オーッ」と思うような人ばかりで。五輪や世界選手権で見る世界とは全く別の、ビジネスとしての陸上競技の最高峰の試合なんです。それなのにレース直前までは試合の雰囲気もなくて、スタートラインについたらバーッと走って、終わったらもうお開きという感じなんです。歌手の人がステージで一曲歌うために、全国を流して回っているような感じなんですね。そんな世界の奥深さを知ったら、世界室内で見えた世界はもう消えて、遠くの方にいっちゃって、何が世界なのかわからなくなりました。たしかにグランプリに行って戦っていること自体が世界の中にいることなんですけど、そういう状況になったら、「世界はどこだ」ということになってしまったんですね。200mでは世界の12枠くらいには入れたんで、まるでずっと目指していたプロ野球に入れたルーキーのような感じなんです。だから何をしたらいいのかわからず、一生懸命やるしかないような状態になってしまっているんです。

注:ゴールデンリーグ……グランプリの中でも欧州で行われる7大会は、ゴールデンリーグと呼ばれ、獲得ポイントも高くなる。

10年間、自分の道を探してやり続ければ変えられる。

<PB>'96年のアトランタ五輪で200mの準決勝に進出した後、朝原宣治選手を交えて日本人の100m9秒台という話をしましたけど、実際に体験した9秒台間近というのは、どのような感じなんですか。
<伊東>アトランタの頃は、可能性はあるだろうけど近い将来のことではないなと思 っていました。それに、それを実現するのは朝原だろうなと考えていたんです。 実際彼が10秒08の日本記録を出したときには、他の連中と「あの記録を破るのは朝原以外にはいないだろう」と話していたんです。アジア大会で10秒00を出した 時は、足が地面に着いていないような感じでした。骨盤がガクガクと動き、空中をひたすら前に進んでいるだけのような。予選から決勝までの2日間は、少し動いただけで筋肉の一本一本の繊維がつったり、夜中もちょっとしたことで目が覚 めるような、これまでにない経験をしたんです。でも100mというのは朝原が以前から言ってたように、コツなんですね。200mは技術が介在する余地は大きいし、その技術を練習で磨くことも出来るんです。その点100mはコツとタイミングをつかみ、それが崩れさえしなければそれなりのタイムでは走れると思います。ただ100mの場合はレース前から試合が始まっているようで、重圧は凄いですね。
<PB>元々400mランナーだった伊東選手が、100mで10秒00を出したという意味はどういうものだと思いますか。
<伊東>高校時代の100mのベスト記録は10秒80なんです。だからスピードがないからと400mにこだわっていたんです。でも10年間、自分の道を探してやり続ければ変わるんです。よく長距離のコーチから「短距離は素質だけで走れるから楽でいいよな」と言われてたけど、短距離というのは素質だけの種目ではないということを証明できたと思います。だからやるべきことをキチンとやったら出来ないことはないと、ジュニアの選手にも夢を与えられたと思っています。それに僕や朝原、400mハードルの苅部(俊二)や山崎(一彦)などは、前に道がないようなところを歩んできたんです。僕自身もスケジュールも考えないで海外の試合に出たり、短距離にはマニュアルのない高地トレーニングをやって失敗したり。そんな経験の積み重ねが、今ようやく実を結んでいるのじゃないですか。
<PB>100mの9秒台はこれまでは黒人選手しか出したことがないし、10秒00で走った白人選手も84年のマリアン・ヴォロニン(ポーランド)だけ。黒人選手以外では初の9秒台を期待されていますが、そのプレッシャーは大きかったでしょうね。
<伊東>僕にとって100mというのはこれまで、逃げの種目だったんです。200mで疲れたかなと思ったら走るという、安易な気持ちで走っていたんですね。でも10秒00を出してからは、世間の人からは、陸上競技者として見てくれるのではなく、9秒台を出すのかどうかという一点を注目されるんですね。初めて経験する環境のなかで、何もかもがストレスになり、4月頃には精神的にも不安定になっていたんです。僕にとっては9秒台を出すことが最終目的ではないですし、これまで一度も100mで勝負すると言ったことはありません。ようやく200mで世界の仲間に一歩ずつ入れつつある段階だから、そんなことは考えたこともないです。 シドニーでは200mで勝負をしたいという気持ちは変わっていませんから。

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「9秒台に届かず」と書かれた時は嬉しかった。

<PB>そんなプレッシャーも、6月の東海人・日大対抗戦に出場して、手動計時の9秒9を出してからは薄れてきたのではないですか。
<伊東>その前にアメリカのグランプリを転戦して、スタートにも勇気を持てるようになったし、あの記録を出したことで世界選手権も100mを走りたいという気持ちになってきました。でも、ヨーロッパに行ってもそういう見方をされていて、結構言われるんです。だから今はもう「出る時は出る」という気持ちですね。ヨーロッパでは記録は出なかったけど、10秒00の選手たちとも対等に戦えましたから。7月2日のローザンヌの試合で、「9秒台に届 かず」と書かれた時は逆に嬉しかったですよ。10秒06だって凄い記録なのに、それが「残念」と書かれていたんですから。そんなレベルになったんだなと実感しましたね。春まではうるさく言われるから「9秒台は出さなくてもいいな」と思っていたんですけど、今はもう早く出したいという気持ちになっています。世界のいろいろな人たちと走って「うまくやれば出来る」というのを感じたし、僕には9秒台を出したいという欲が足りないというのもわかりましたから。とにかく、早く出して楽になりたいですね。9秒台を出してしまえばもう、そのことについて言われることも少なくなるだろうし、逆に100mをやらずに200mや400mをやれるようになると思うんです。いつどうなるかわからないけど、その辺の人と走り、気持ちだけをしっかり持ってれば、 絶対に9秒台は出せると思っているんです。
<PB>ヨーロッパ遠征の最後の試合、パリのゴールデンリーグの時は、選手のレ ーンを決めるテクニカルミーティングに出席し、2レーンだったのをカーブの緩やかな8レーンに変更させたそうですね。
<伊東>あの時はもう疲れていて走れないことがわかっていたから、やれることはやってみて終わろうと思ったんです。僕もテクニカルミーティングには大会主催者と選手の代理人しか出られないと思っていたけど、根本的には選手でもいいみ たいですね。長距離ならレーンはあまり関係ないけど、200mだとレーンの有利不利はあるんです。だから、記録が悪いからインに入らせられるというような単純な問題ではないんですね。日本では、世界ランキング30-40番のタイムが出ればもう世界に仲間入りした、という間違った認識が浸透しているけど、あれは単なる世界のランキングであって、ビジネスの世界のランキングじゃないんで す。陸上競技をビジネスとしている世界ではそんなに単純なものではないし、相手にしてもらえないんです。そんな世界でどうしていけばいいのか。日本の内部で改善してもらいたい部分も見えてきたから、そういうことを自分で経験して伝 えていくのが僕の仕事だと思うんです。今までは不平だけ言っておけばいいや、という気持ちでしたけど、今はそういう立場ではなくなりましたから。

高野さんのおかげで世界選手権や五輪を経験できた。

<PB>同い年の苅部選手などと以前から、ファイナリストになった高野進さんのやってきたことを引き継がなければいけないと言っていましたが、その役割も果たせましたね。
<伊東>高野さんのおかげで僕たち短距離選手は、弱小の頃からリレーで世界選手権や五輪を経験出来たんです。だから高野さんが出来なかったことの更なる向上を狙うというか、僕らがやって次の世代の人たちが、本当にグランプリで活躍できるようになっていかないと駄目だと思います。そうなるために微力を尽くすことが、高野さんの業績を引き継ぐことなのだと思います。以前僕らは高野さんと一緒の時代に練習をし、あのくらいの練習をしなくてはいけないと思ったし、高野さんと違ったことをやらないといけない、という気持ちもあったんです。でも、今の若い人は僕や苅部、山崎などを別だと考えてしまうんですね。資質のいい子はいっぱいいるんですけど。それに今年、久しぶりにインターハイを見て感じたのは、可哀相なくらい筋力トレーニングをしている身体になっていることですね。僕らの高校生の頃は、何を言われても言い返せないような貧弱な身体でしたから。今の高校生はウエイトトレーニングで記録が伸びると思っているようですけど、それ以上の記録を出すにはさらにウエイトを積み重ねるしかないんです。基本は走ることで、重いものを持ち上げることじゃない。無駄な筋肉をなくして、速く走るための筋肉を作ることが必要なんです。そんなことを少し思ってしまいましたね。コーチが悪いというのではなく、全体的なイメージがウェイトトレーニング重視という風潮になってしまっているからだと思うんです。僕にとって幸いだったのは、長く陸上を続けて欲しいという監督にめぐり合えたことで す。3年間で築き上げて優勝させる、と言うような監督ではなかったですから。

あんなに大勢の人と会え、世界を見られるんだから、辞めるのはもったいない。

<PB>最近の世界のスプリンターは、小柄な人が増えてきたと思うのですが。世界記録保持者のモーリス・グリーンは175Bだし、97年世界選手権200m優勝のアト・ボルトンも176Bですね。
<伊東>個性もいろいろあるけど、小柄な方が効果的に身体を動かせるのだと思います。200mでは大柄な選手はほとんどいないし、400mハードルも小柄になってきましたね。そんな人たちでもやはり上半身の筋肉は凄いけど、ベン・ジョンソンの頃とは変わり始めていますね。グリーンも確かに凄い筋肉だけど、そんなにヒビるほど凄いものではありません。もう外国選手の身体を見てヒビることもなくなったし、日本人でも十分対抗できる時代になったと思います。朝原くらいの身体だったらもう、世界でもごつい部類に入ってしまいますからね。
<PB>以前は30歳過ぎまで競技を続けるのは、大きなリスクを背負っていると言っていましたが。
<伊東>確かにリスクは背負っていると思うし、賢かったら辞めてるんでしょうけどね。でも今になったらそんなに感じなくなりました。世界ではみんな走 っていますから、やれるところまでやってみようという気持ちになっています。確かにシドニーは集大成だと考えているし、今までは一区切りついたら辞めようかなと思っていだけれど、もったいないですよね。あんなに大勢の人と会え、いろいろな世界を見られるんですから。鳥取で一緒になったゴルフの青木切さんにも、ピークというのは辞めてみないとわからないと言われたんです。ピークが 落ちてきてもそれを補うようにしていけば、またピークが出来るんじゃないかと。青木さんはあの歳でまた新しいことをやろうとしているし、僕の記録が伸びてるのを見て、自分もやる気になったと言うんです。お互いにこれまでの限界説より長くやってるんですよね。これまで僕は陸上の常識の碇破りのようなことをやって、ここまで伸びてきたから。もう少しそんな気持ちで競技を続けたいなと思いますね。

薄暗くなったグラウンドでスターティングブロックについた伊東は、「ひとりで 走れば9秒台もすぐ出そうなんですけどね」と言って顔を向けてきた。世界のトップ選手と一緒のレースでは様々なことで集中力を削がれるという。スタート位 置につくときに大きな奇声を発する選手もいる。「位置について」のコールの後も、選手たちの大きな息づかいが耳元で聞こえ、気になってしまう。8月21日 から競技が始まった世界選手権。伊東の動きは身体のバランスを欠き、キレがなかった。100mは2次予選で敗退し、200mは準決勝で敗退した。5月からグランプリを回り続けた疲労がたまり、十分な体調で本番に臨むことが出来ず、彼自身や周囲が期待したような結果は残せなかった。しかし、世界の陸上の流れに乗っ たシーズンの結果として伊東は納得する。もし日本だけの大会に出場して、セビリアに臨んでいれば、もっといい結果は出たかもしれない。だがそれをあえてしなかったのは、彼の心の中に"本当の世界"で戦いたいという、欲が芽生えたからだ。世界のトップ選手たちと常に競い合いながら、彼らの仲間として迎え入れられたいと。日本陸上界の碇破りを自ら認める伊東。今シーズンは彼にとって、世界のアスリートの一員となり、本当の意味で世界と戦い始めた初年度なのだ。

伊東浩司(いとう・こうじ)/1970年1月29日
兵庫県神戸市生まれ。東海大卒。'92年バルセロナ五輪代表。'96年6月日本 選手権200mで20秒29のアジア新記録をマーク。同年アトランタ五輪200m、1600mリレーに出場。200mは準決勝に進出。'98年10年日本選手権200mで20秒16のアジア新記録、100mで10秒08のアジアタイ記録をマーク。12月バンコク・アジア大会では準決勝で10秒00を記録。 200mと400mリレーでも優勝し同大会最優秀選手(MVP)に選ばれる。'99年6月東海大・日大対抗戦100mで、手動計時ながら9秒9をマーク。7月、ローザンヌ国際100mが10秒06で6位。25歳を過ぎてから、自己の記録を次々と塗り替え、陸上短距離の常識を破る活躍を見せている。富士通(株)勤務。

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