-PBインタビュー・コレクション-

猪瀬 直樹

日本の近代150年に、我々「日本人の自画像」を追い求める作家

増田岳二=写真

ニューヨークの衝撃的なテロ事件をきっかけにアメリカの軍事的報復行為を日本の自衛隊はどう支援していくのかで、日々多くのむなしい論争が行われている。
西欧の近代的合理主義とイスラム原理主義の衝突の狭間に顔の見えない国、日本の存在がまた不気味に思えてくる。世界は顔のない国を相手にするのだろうか?
猪瀬直樹はその見えない顔に何とか目鼻立ちを与え、へそを見つけようと格闘してきたように思える。「特殊法人改革」も、このまま放置すれば、戦前の中国大陸の戦闘でずるずると泥沼に引きずり込 まれ最後は原爆ですべて焼け野原という歴史の二の舞になることは明らかだという。
我々はいつまで愚かであり続けるのか?

<PLAYBOY(以下PB)> 現在の猪瀬さんの仕事は、世間でも話題になっている小泉構造改革にブレーンとして参加しながら、『猪瀬直樹著作集日本の近代』一小学館・全12巻)という形でいままでの作品を集大成するという、大きくふたつの流れがあるように見えますが。
<猪瀬> これ(緒瀬直樹著作集)を出したのは、僕の仕事の意味を、おそらくトータルで理解してる人は少ないんじゃないか、と思っていたからです。 実は、僕は文壇やノンフィクションから孤立してるし、アガデミックな世界からも孤立してるんです。自分で独自の世界を作ってきたという自負はあるけれども、その自分の世界の受け皿が日本の出版ジャーナリズムを含めた文化的な基盤としてないんだな。だから、自分は日本の近代という大きな広がりのなかで仕事をしてきたということを示すために今回まとめるに至った、というのが著作集の基本的スタンスです。
<PB> 黒船がやってきて150年、そこから始まる日本の近代のいろんな事件や人間を、確かにこれだけいろんな分野で取り上げて仕事をした人は、あまりないですね。
<猪瀬> 僕は、いわゆる教科書的な歴史観や、イデオロギー的な歴史観から離れて、日本の近代全体をどう捉えるかということでやってきてるんです。たぶん、世間はそうは見ないだろうけど、司馬遠太郎さんがやってきたような仕事をずいぶん継いでいるつもりなんですよ。ただ、年代や世代が違うから、僕のほうが新しい見方でやってる。
<PB> そのなかの一番大きなキーワードのひとつが、「ミカド」になるんですか。
<猪瀬> うん。でも、あんまりそこにこだわる必要はない。たとえば、ニューヨークの同時多発テロのような21世紀の新しい戦争が生まれたときに、日本人は「超大国アメリカ」と、「アフガンというイスラム教の貧しい国にいるテロリスト」の戦いという捉え方をするでしょう。自分のこととして考えない。他人事なんだね。欧米はヨーロッパ的近代社会を実現した国家で、科学技術が発達し、ある種の合理主義で世界を支配する。それに対して、アフガン一帯の原理主義的世界は、自然のなかで生きてる中世。兵器だけは新しいものを持ってますけれども。そのコントラストのなかで、日本人は天皇という中世を抱えていて、近代と中世を併せ持ってるわけです。だからこそ戦前に神風特攻隊をやった。あれは、死を共同体のなかに溶かしていくことで自己実現する世界で、やってることはワールドトレードセンタービルヘ旅客機で突入することと同じなんです。しかし、いまのメディアや日本人全体は、我々のなかにあるその遺伝子を全く忘れたかのごとく、いわゆる評論家に陥っている。
<PB> いつ攻撃するとか、そういう話ばかりで。
<猪瀬> 同じ議論の延長で、我々は何なの、という、自分に対する問いかけがきちんとないところに、いま我々がいるということは非常に奇妙なんです。「軍国主義やめまし た」「平和主義になりました」と、コロッとうまく変わったつもりでいるけど、それは帽子とか服を変えただけで、遺伝子としては連綿と流れている。この戦争と、例えば靖国問題はつながってこなきゃいけないのに、そういう我々の自画像をすっかり忘れて、アフガンだアメリカだと、他人事みたいに言ってる。それじゃダメなんですよ。たまたまいまは、時事的なコメントとして申し上げているけれど、日本の近代は、そういう自画像の有り様をきちんと捉えていないじゃないか、とずっと以前から思っていたわけで す。

日本の文化人、知識人はタコツボに入っていた

<PB>日本人がその「自画像」を捉えてこなかったのは、戦後民主主義が戦前を全面否定したためでしょうか。それとも、そのずっと前から見ようとしてこなかったのでしょうか。
<猪瀬>簡単に言うと、日本の文化人や知識人は情報処理能力が極端に低いために思考が限定されていた。実は戦前からひどかったんです。
<PB>そんなに?
<猪瀬>明治からずっとそうだけど、国家を設計していく連中に拮抗してないんだ、文学が。そのへんの女とどうしたこうしたという話は、それはそれであっていいんだけど、そうじゃないレベルのものがない。つまり、その時代の本当に支配的な空気と理論と考え方とか、そういうものに拮抗する文学がないのです。幸徳秋水の大逆事件なんて、極論すればごくマイナーな話だし、与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」は、弟のことを書いただけでメディアに浸透したわけではないので、世論に何も影響を与えてない。
<PB>フランスなら、バルザックの『人間喜劇』のような例もありますが。
<猪瀬>社会の大きさに対応してるんですね。消費社会の広がりにちゃんと対応できている。ところが日本は、地主の次男坊や三男坊がせいぜい文学青年になるくらいで、やることがないから、親の金で飲んだくれて遊んだこと書いて、というレベルのものが多い。国文学者は歴史の重要な柱のように書いているけど、そんなのはウソ。誰も読んでないですよ。フリーターのような文学青年が2万人いた。その仲間内で流通してただけで、 それをあとで国文学者が、あたかも何か大きな流れがあったかのように書いてる。
<PB>文学のナポレオンになろうという志を持ってパリヘ行った、バルザックやビクトル・ユーゴーとは、精神的広がりが違うかもしれませんね。
<猪瀬>そう。そういうなかで、大正時代から知識階級のタコツボ化が始まった。大宅壮一さんが大正15年に「文壇ギルドの解体期」を書いたときに、もう純文学の凋落は始まってるからね。文学史では第一次新思潮、第二次新思潮とかって書いてるけど、そんなの誰も知らない。ただ、大正時代末期から市場社会になって、芥川龍之介の写真が流布して一種の芸能人的なメジャーなイメージは広がってくる。円本ブームもはじまりますしね。それから新聞小説。いまのワイドショーのようなもので、新聞小説は連載の途中でもすぐ芝居になる。あとは、『文嚢春秋』や『中央公論』といった雑誌が登場し て、作家に原稿料を払うという形で、文化人のフリーランサーがギリギリ成り立ちはじ めたんです。そして、マルクス主義が一気に入ってくる。マルクス主義でお題目を前提とした分析 だから、本当の意味での市場調査やマーケティングリサーチじゃない。ソ連の指示で、 天皇制を調べるとか地主制だとか言われて、全然構造的な捉え方がされていなかった。でも、外国の研究者はきちっとそれをやっている。だから、僕はむしろ外国の研究者の本を見て理解をしていったんです。
<PB>外国というと?
<猪瀬> アメリカです。たとえばチャーマーズ・ジョンソンの『通産省と日本の奇跡』がわかりやすい。あるいは、デビッド・タイタスは『日本の天皇政治』で、戦前の分析をしています。あるいはテツオ・ナジタという人の『原敬--政治技術の巨匠』もわかりやすい。そういう本を読んだほうが、当時の日本をよく理解できる。日本の研究書を読んでも全然役に立たない。
<PB>日本人は自分たちの近代の構造をまったく知らないまま、いまに至る、と。
<猪瀬>知的生産としては最低ですね。ただ、職人さんたちが偉かったから、それがソニーになったり、ホンダになったり、あるいはダイエーになったり、いろんなものになっていって、世界2位という経済力を形成する。職人さんたちの持っている研究熱心さは製造業の繁栄に行くけど、文化的な部分は見劣りがする。情けないぐらい知的生産レベルは低い。

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日本人は共通の認識や物語を持っていない

<猪瀬> 僕のやっていることは、たとえば社会学や歴史学や文化人類学や民俗学であったりする。もちろん文学であったりするわけだけど。そういう全体性で日本の近代を捉えないかぎり、自分のアイデンティティにならないはずなんです。しかし、僕以前にそ ういうものは全然ないんですよ。たとえば『天皇の影法師』を書いたときも、どこにもはめてくれない。文芸誌も「これはどうかわかんない」って態度だし、ノンフィクションでも大宅壮一賞の候補になったけど、よくわからないということで落とされちゃった。たまたま『ミカドの肖像』が大宅賞になったけど、あれだって普通のノンフィクションとは違うでしょう。ある種の知的フィールドワークの物語なんだけど、そういうふうには読まれてない。ほとんど誤読されてる。
<PB>でもこれで一気に読者が増えた。
<猪瀬>天皇が亡くなるときだったしね。それをある程度考えてやったんだけど。昭和天皇崩御のときに『ミカドの肖像』という本は必要だと思ってましたから。天皇って日本史の問題だと思われてるけど、世界史のなかで日本のイメージがどう伝播されていったのかをもう一回振り返って、それがまたフィードバックされると、ああいう西洋人風の顔になっていくわけですから。
<PB>明治天皇の御真影ですね。
<猪瀬>日本の近代は、黒船が来て、国際社会に入ったときに出来上がったんだから、当然明治天皇の御真影はハーフの顔をしてていい。いいというか、そうなることの意味づけをきちんと書いている。たかだか50年か100年の話ですよ。でも、その50年から100年の話について、日本人は共通の認識や物語を持ってない。歴史がわからないのはサルといっしょなんだ。
<PB>150年間、日本にはサルばっかりだという……。
<猪瀬>ただ、あの戦争で300万人死んだということが、昭和天皇の崩御のときにわっと一気に、何か知らないけど、無意識に盛り上がるんですね。それともうひとつは、これを文学だと言ってもわからないわけ。読んでいて、そのへんの推理小説読むよりもよ っぽどおもしろいでしよう。
<PB>『ピカレスク太宰治伝』まで、すべてそうですね。
<猪瀬>これまた固定観念が先にあって、たとえば文学史は大学の国文学の先生が「国木田独歩がいました、こういうのを書きました」とか書くだろうと思いこむ。そうじゃ ないんです。田山花袋は自分の弟子の女に手をつけたら、それが新聞に載ってスキャンダルになった。いまでいうワイドショーに取り上げられたから有名になったんですよ。 ただ女の話を書いただけじゃ有名にならない。そうすると、我も我もと「オレも女の話書いて有名になろう」という連中があらわれる。いまのテレビといっしょですよ。そういうメディアの広がりとパラレルで見ていかないと、ただ単に「過去にこういう本がありました、名作でした」という書き方をしたって、どうしようもない。そういう研究を 誰もしてないからね、学者は。ただ、文学青年がどう悩んだかなんて書いただけで、そんなもの大した悩みじゃないよ(笑)。
<PB>『ピカレスク』を読んでてびっくりしたのは、太宰治で、初版が3千部とか。
<猪瀬>とにかく太宰は増刷がなかったんだから、一度も。『斜陽』で初めて3万部で す。
<PB>あんなに有名な作家が。
<猪瀬>やっとあそこで売れた。太宰については、あれだけのナルシシストが、『斜陽』が売れてみんなにちやほやされてるときに死ぬわけがない、という観点が抜けて る。いつかは死ぬ路線だけど、少なくとも3年、5年はもっとちやほやされていたかったのは間違いない。太宰は自分で死のう、死のうと言ったけど、よくでまかせに言うんだよ。「いいわね」ってなことね。だから、山崎富栄は死ぬ気になっちゃった。でも、太宰は死ぬ気がない、売れてきたから。で、(昭和23年)6月13日。不快指数が高くて、湿度も高いんだよ。6畳一間に青酸カリ持った女がいて、それがいつお茶に入れられるかわからない。怖くていられないよ(笑)。
<PB>映画のシーンのようですね。
<猪瀬>玉川の土手に腰掛けて、ウイスキー持ってきてるからちょっとふたりで飲んだ。完全に山崎富栄は死ぬ気だけど、太宰はどうしようと思う。オレが太宰治だったら、そこで大笑いして誤魔化すしかない。ウイスキーを飲んでるうちに(青酸カリを)入れられたんだ。ずるずると引っ張った跡があるからね。富栄はふやけて土左衛門の顔をしてるけど、太宰はふつうの表情です。水を飲む前に死んでるんです。その状況証拠から推理して、きっとそうだろうと。
<PB>おもしろいですね。
<猪瀬>結論はこうだとははっきり言えないから、『ピカレスク』にはほぼそれと読めるように書いでいますけどね。だって、あんなナルシシストが、本がやっと売れはじめたところで死ぬわけがない。少なくとももう5冊ぐらい書いて、次の女に乗り換えて --『グッドバイ』という小説は、別れて次の女に乗り換える話だから。そういうところを誰もやってなかった。いわゆる文芸批評家は何もわかってないよ。

特殊法人政革は断固やりますよ!

<PB>ところで、猪瀬さんにいま一番期待されているのは、小泉構造改革のブレーンとして特殊法人、公益法人の改革ということですが、いまの状況ではっきりいって道路公団の分割・民営化はできそうですか?
<猪瀬>総理がいて、石原伸晃行革担当大臣がいるんだけど、僕は自由に動けるんですよ、政治家じゃないから。国土交通省のヒアリング(9月21日)をやったときには、もう喧嘩ですからね。黒字三公団を統合して日本道路株式会社という巨大独占企業を作 って、本四公団を捨てて税金で始末させ、それでどんどん道路を作ろうというんだから、そんな都合のいい話はない。冗談じゃないよ。
<PB>そこは猪瀬さんに潰してもらわないと。
<猪瀬>徹底的にやりますよ。だいたい、行革断行評議会のメンバーに僕を入れるのは、行革推進事務局でも反対したんだ(笑)。僕を入れたのがそもそものまちがいなんだ、向こうにしてみれば。
<PB>やってくださいよ。
<猪瀬>普通入れないですよ、絶対に。だって、道路公団や特殊法人問題は、僕が一番詳しいんだから。大学教授で財政学やってる人たちなんて、財政投融資のメカニズムで実態調査なんて何もやってない。竹中経済担当大臣がこの間言ってたけど、外国だとオ ーソドックスな研究としてきちんとやっていくのが当然なのに、日本にはそれがない。何度も言うけど、こういうものを日本の近代という形で誰もトータルには把握してないんですよ。『ピカレスク』で、太宰治が「道路と鉄道は役人にやらせちゃいけない」と書いてあるの知ってる?
<PB>いや、知らなかったです。
<猪瀬>やっぱり作家の直感というのはあるんだよ。「商人は利にさといから鉄道だって道路だって、いまより上等なものをちゃんとつくってくれますよ。役所とか役人とかそんなものは百害あって一利なしだということは今度の戦争で実証済みじゃないか」と言ってるんです。太宰がちゃんとここで正しいことを言っている。なのに、文芸評論家は問題意識がないからそこに全然気づかない。太宰が道路公団の民営化って言っているんだから、そういうところを見ないと、ねえ。

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