-PBインタビュー・コレクション-
対論!
辺見 庸/Yo Hemmi
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ノーム・チョムスキー/Noam Chomsky
「根源的な反戦・平和を語る」
唐木鈴=訳/辺見庸=構成
フィリップ・ジョーンズ・グリフィス=写真
photographs by Philip Jones Griffiths/Magnum Photos Tokyo
正直、私は当惑しどおしだった。これまで数え切れないほどの人間たちにインタビューし対談もしてきたが、それらの経験則をもってしては、眼前の人物の胸底の深さを測ることなど到底できはしないと気づいたとき、私の狼狽ははじまり、じつのところ、握手し、辞去し、帰国してからしばらくたついまもなお、当惑はつづいている。断っておくが、ノーム・チョムスキーが言語学の世界的泰斗であるがゆえに気圧されたわけではない。あまりにも著名な反戦理論家と会えた喜びが高じての動揺でもないのだ。それほど私は純情でも潔癖でもない。 率直に、こんな男、見たことがない思ったのである。つまり、人間への私の意地の悪い見積もりが崩れた。それが当惑のわけである。第一に、ジャーナリスティクなものいいをこれほどまでに嫌う人物を私は知らない。どのような硬骨の革命家だろうが、ひねくれた芸術家だろうが、メディアを前にしては、愛想にすぎないものであれ、結局のところ、多少の迎合をしてみせ、笑みの一つや二つふりまくものである。だが、チョムスキーはちがった。孤高の反体制知識人といった記事をねらった、自身をめぐるジャーナリスティクな作意に彼はじつに敏感であり、そのような紋切り型のロマンづくりへの同調をあくまでも拒否するのだった。 権力への自己防衛策としてそうしたのではない。米国における言論抑圧など、他の独裁国家や軍事政権下の社会に比べれば、どうということはない。知識人は泣き言をいわずにしっかりと闘うべきだ。インタビューで彼はしばしばそうした口吻を洩らし、チョムスキーを同時代のビーローに仕立て上げようとする当方の試みを、撫然としてはねつけたのである。インタビュー冒頭の、米国では言論統制はないという意外な発言は、したがって、そうした文脈から解釈されるべきであろう。つまり、言論抑圧などあってはならないのだ、というチョムスキーの意地とアイロニーを酌むべきである。 それかあらぬか、私が作家スーザン・ソンタグについて問うたときのチョムスキーの表情ときたら、まさに苦虫をかみつぶしたようなそれになった。彼女への脅しだって? そんなもの論ずるにも値しないよ、といった面持ちだったのである。背景には、最近になって米国の反テロ作戦をついに肯定するにいたったソンタグの姿勢への深い失望もあったであろう。にしても、知識人とマスメディアに対しこれほど仮借ない態度をとる人物を私はこれまでに見たことがない。9・11テロ以降の米メディアの異様な愛国報道や米国内外の思想家や哲学者らの怯儒と惰弱ぶりからしても、チョムスキーの言説はいまや危険なまでに正鵠を射ていると私は思う。 ベトナム戦争期の反戦運動へのノスタルジー。チョムスキーはこれをも一蹴した。私が当惑したもう一つの理由である。彼は1960年代にヴェトナム戦争反対デモで、作家ノーマン・メイラーらとともに逮捕されており、当時の状況を内側から語る資格のある人物である。そのチョムスキーがJ・F・ケネディ=善玉幻想を嗤い、ヴェトナム戦争に本質的には反対しなかった米国の知識人の欺瞞を口をきわめて非難した。かならずしも予想しなかったなりゆきでもなかったのだが、実際に激しい言葉を浴びたら、なんだか虚を衝かれた思いがして、私は少しうろたえた。いまよりヴェトナム反戦期がよかっただなんて、日本人のとんでもない錯覚だ。チョムスキーは言外にそう語っていたし、十二分にそのことを証明しもした。 チョムスキーが好きになったかと問われたら、率直にいって、私には即答できない。安易な内面の吐露や文芸的ないしジャーナリスティクな文言を徹して避ける彼のやや乾いた表現方法は、だからこそ信頼できたし、だからこそ取りつく島もなかったともいえるからである。ただ、70歳をとうにすぎたこの痩身の碩学の、まったく衰えるということのない舌鋒と、事実の厳正をどこまでも求めてやまない勇気と情熱には、畏怖の念すら覚えた。チョムスキーは、だらしのない、そして甘ったれた、ろくに闘いもしない日本の言説というより無文曲筆(ぶぶんきょくひつ)を、ボストンくんだりまでやってきた私に代表させていたかもしれない。そう感じないでもなかったが、でも、私はあえて反論しなかった。ブッシュ政権の戦争政策を非難する手前で、日本の言論は自国の反動化と本気で闘わずしていまや安楽死しつつあるのだから。 私が訪ねたマサチューセッツ工科大学の彼の研究室には、バートランド・ラッセルの大きな肖像写真が貼ってあり、そこに記されたラッセルの言葉も見てとれた。「愛への渇望、知識の探求、人類の苦悩への無限の同情……」。ラッセルが人生の指針とした言葉である。まったき理念であるがゆえに、弱々しくもあるそれらの文言が、チョムスキーの部屋では筋金入りの信条にさえ思えたことである。 |
闘争なくして言論の自由はない
<辺見>私、昨日、ジョン・F・ケネディ空港に着きましたが、セキュリティチェックの厳しいのに驚きました。で、この国では、9・11以来、言論の統制ひどいことになっているのではないかと想像しました。あなたにもさまざまな圧力がかけられているのではないしようか。 |
知識人は闘わなかった
<チョムスキー>バートランド・ラッセルは当時80代でした。彼は非常に強固に立場を貫き、断罪されました。アメリカ中で憎悪され、罵倒されたのです。批判に対する反論さえ、ニューヨーク・タイムズは受け付けなかった。ひどい悪事を働いたかのように咎められた。ジャン=ポール・サルトルもいくつか声明を出しましたよ。私も署名した。ふたりして共同声明も出しましたが、まったく無意味だった。だって、たったふたりの知識人が一緒に声明文に署名したからといって、何になりますか? それに、あれは随分たってからの行動だった。1963年ではありませんでした。ヴェトナム戦争に対する反対なんて事実上なかったんですよ。もちろん、市民たちの反戦運動はありました。しかし知識人のなかにはなかったのです。非常に限られた反論しかありませんでした。どのくらい限られていたかといえば、何年か前にロバート・マクナマラが出した回想録がどう迎えられたかを考えてみればよくわかります。興味深い本でしたよ。 <辺見>『マクナマラ回想録〜ベトナムの悲劇と教訓』のことですね。日本のヴェトナム戦争研究者の間でも評判になりました。 <チョムスキー>タカ派の人々は、マクナマラを裏切り者と批判した。ハト派の知識人たちは、喝采した。なぜならマクナマラが最終的に、ハト派の正当性を認めた、と言っているからです。しかし、ハト派が自らの正しさを認めてもらえた、と感じたその本に、マクナマラはいったい何を書いていたのか。彼はアメリカの人民に対して謝罪しました。だが、ヴェトナム人民に対しては? 何もなしです。彼はアメリカ国民に謝罪した。それは、あれが多大な犠牲を払う戦争になることを、然るべき段階で発表せず、そのために国民に苦痛をもたらしたからです。こういうことならナチの将軍にだって書ける。スターリングラード包囲のあとで、戦争はコストがかかることを早く言わなったから、とドイツ国民に向かって謝罪するようなものだ。あるいは日本軍の将官が、「真珠湾攻撃などするんではなかった。ああいう結果を招くとは」と言うようなものです。マクナマラの謝罪は、そういう類の謝罪なのです。 しかしおもしろいことに、ハト派の知識人たちはこれで自分たちの正当性が証明されたと感じた。ハト派の知識人たちというのがどういう者たちだったか、これでよくわかるでしょう。彼らは決して戦争そのものに反対していたわけではなかった。戦争の進め方に、コストの面で異論を唱えていただけなのです。まさに衝撃的ですよ。民衆は(知識人と考えが)違っていたのです。 <辺見>そうでしたか。日本では必ずしもそうは受けとられていませんでした。重要な指摘だと思います。 <チョムスキー>知識人が言っていたのは、戦争は誤りだった、と、最初は善良な意図から始めたけれども、判断を誤ったのだ、と、それは要は戦争のコストのことだったのです。他方、一般の人々は、戦争は「基本的に悪であり、道徳に反する。単なる判断の誤りではない」と言っている。極めて大きな溝です。知識人と大衆の間には、大きな隔たりが当時たしかにあった。それはいまでもあるのです。 <辺見>私は一般に民衆のほうが保守的だとばかり思ってきました。 <チョムスキー>反戦運動については、それがいつ始まったか思い出してください。私は自分の経験からお話しすることができるんです。この街、ボストンは、とてもリベラルで活動家の多い都市です。我々は1966年になるまで、戦争に反対する集会を持つことができませんでした。南ヴェトナムヘの軍事介入が開始されて4年もたっていた。なぜ集会ができなかったか。学生たちの手で、集会が物理的に妨害されたからです。メディアは、「ああいうものを見事に阻止した学生たちはすばらしい」と称えました。のちに、1966年の終わりから67年にかけて、反戦運動はボストンのみならず世界中に広がっていきます。しかしそれは、何十万という人がすでに南ヴェトナムで虐殺されてしまってからのことです。国土は壊滅状態になっていた。南ヴェトナムには何十万というアメリカ兵がいて、戦乱はインドシナ半島全体に波及していきました。そういう段階になってやっと、実効のある反戦運動ができるようになった。それは民衆の間に起こったことでした。知識人の間にではない。そのことはしつこいくらいに言わねばなりません。 <辺見>60年代と現在の状況の比較を興味深くお聞きしました。というより、常識を覆されて、ちょっとしたショックを受けております。日本のアメリカに対する左右両面の幻想はもっと正されなければならないのかもしれません。それにしても心配なのは、いまのアメリカの言論状況です。例えば、あなたご自身は、政府当局から何らかの脅威を受けたりはしていませんか? カリフォルニアのバーバラ・リー(下院議員)や作家のスーザン・ソンタグがいま、ある種の脅しに晒されているということも聞きますけれども。 |
脅し? 大したことはない
<チョムスキー>そんなことはありません。彼女たちは当局からはいかなる脅しも受けてはいないのです。批判的な立場をとると、脅迫の手紙を受け取ったり、人から嫌われたり、新聞に悪く書かれたりはする。そういうことが起こりうる、という現実に不慣れな人は驚きはするでしょう。しかし、ここで起こっていることなど、どうということはないのですよ。それを取り立てて言うこと自体、「不面目」なことです。 私はつい先日までトルコに行っていました。ある出版人の裁判に出るためです。その出版人は、私が書いた文章を出版した。トルコのクルド人抑圧について書いたものです。 <辺見>あなたの著書『米国の介入主義』の出版をめぐる国家治安法廷のことですね。トルコ検察庁が反テロリズム法を根拠にその出版人を起訴した。結果的に検察側は起訴を取り下げたと聞いていますが。 <チョムスキー>非常に重大な問題なのだが、しかしトルコでは、そのようなことを口にするのは許されないのです。出版人は刑務所に入れられるかも知れない。彼を支えているのは、トルコの指導的知識人です。この人たちはまさに裁判という機会を捉えて禁じられた言論や、刑務所にいる人々の文章などを集めた本を共同で出版してのけ、それを検察につきつけました。私もその出版に参加しました。 勇気があって、誠実で高潔な知識人とはこういう人たちを言うんです。それに、トルコの刑務所というところはハンパではない。彼らが立ち向かわなければならないものに比べたら、この国の人間が抑圧などと言うこと自体、恥ずかしいんです。この国では、抑圧といっても誰かから中傷される程度でしょう。そんなこと、誰が気にしますか? ちっともたいしたことではない。 <辺見>抑圧がなくても自主規制するということでしょうか。日本ではまさにそうです。 <チョムスキー>倒えば、昨夜はMITで私を批判する大規模な集会が開かれた。気にしてはいませんが。私を批判するために集会したければすればいい。ちっとも構いません。それを抑圧と呼べるでしょうか。世界中で、人々がいったいどのような現実と闘っているかに思いをめぐらせたならば、「抑圧」などと口に出すのすらおこがましい。抑圧などありません。何でも好きなことが言える。主流から外れたことを言えば、知的ジャーナリズムからは批判されるかもしれない。誹謗され、断罪され、ひょっとして脅迫状の一通も受け取るかもしれない。しかし、だから何だと言うんでしょう。なぜそんなことをわざわざ騒ぎ立てるのか。この国は極めて自由な国です。政府には言論を統制するだけの力はない。マスコミは、いろんな意見を封殺することができます。 いまはタイムワーナーAOLになっている企業が、私の本を世間に出回らせないようにするためだけに出版部門をつぶし、保有していた書籍をことごとく抹殺したことがあります。そういうことは現実に起こるんです。しかしそれは抑圧とは言えない。出したければ別の出版社から本を出すことだってできるんですから。そういうことをことさらに言い立てるのはばかげています。 <辺見>私はいま、言論統制がないということについての、あなたの真意が初めてよくわかりました。自分への抑圧を他国のもっとひどい抑圧状況との比較の上で考える。また、権力の抑圧ということを、それに抗する運動や闘争との関連で考える。それは大事な思想ですが、締めつけがないわけではない。 <チョムスキー>言論の自由はアメリカで、市民の運動のなかで獲得されてきたものです。第一次世界大戦当時、バートランド・ラッセルはどこにいたか。刑務所です。アメリカの労働運動指導者、ユージーン・デブズはどこにいたか。刑務所です。彼らがいったい何をしたというのか? 何もしていません。戦争の大義に疑義を呈しただけです。言論の自由とはそういうことです。いまは違いますよ。市民運動が言論の自由の範囲を広げたのです。現在まで自由は保障されてきています。そしてこのまま保障されつづけるわけではない。こういう権利は勝ち取られたものです。闘わなければ勝ち取ることはできない。闘うのを忘れてしまえば、権利は失われていくのです。天与の贈り物のように、降ってくるわけではないのです。 <辺見>まったく同感です。テーマを移したいと思うんですけれども、今年になってからの話をしたいんですが、ブッシュ大統領が、一般教書演説で、「悪の枢軸」という極めて危険な考え方を打ち出しました。それ以来、イラクに対する軍事攻撃の可能性が非常に高まっていると思うんですけれども、この点については、あなたはどうお考えですか? |
ブッシュは「枢軸」の意味を知らない
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<チョムスキー>そうですね、まず、「悪の区軸」という言い回しを点検してみましょう。ブッシュ大統領はおそらく、「枢軸」の何たるかを知りもしないでしょうね。しかし演説原稿を実際に起草するライターは知っています。北朝鮮とイランとイラクの関係が枢軸などでないことは十分すぎるほど承知している。(第二次世界大戦中の)東京とローマとベルリンの関係と同じではない。イランとイラクはもう20年も戦争をしている。北朝鮮がこれに加えられたのは、ただほかのイスラム社会に、悪いことは何でも自分たちに押し付けられるという印象を持たせないようにするためです。だから北朝鮮が入ったんです。スピーチライターが悪の枢軸という表現を原稿に加えてブッシュに言わせたのは、国内の聴衆を意識してのことです。ジョージ・ブッシュのマネジャーは大変です。非常に厄介な問題に対処しなければならないんですから。政府が国民に対してやっていることに、アメリカ国民の注意が決して集まらないようにしなければならない。政府は国民.に非常に深刻な損害を与えているのです。9月11日を冷徹にも絶好の機会として、国内の人々への攻撃を強めた。富裕層対象の減税や軍事費の膨張は必然の結果をもたらしています。例えば、一般の人々に対する社会政策費は削られている。これは、すでに限られたものでしかない社会援助をさらに痛めつける攻撃です。こうまで痛めつけられては、政策を維持することはできないでしょう。そういう事実から、国民の目を逸らしたい。(エネルギー会社最大手の)エンロンが税金を払っていなかったという事実から、国民の目を逸らしておきたいのです。エンロンの問題で肝心なのは、何年もの間税金を払っていなかった、それが問題なのです。なぜ払わずにすんだのか。政府が、金のある強力な企業が税金を逃れられる仕組みを作ったからです。そう、これもまた、権力者による一般大衆への攻撃です。いまの政府は以前にましてたちが悪い。そしてまた政府は、今日の石油会社を利するためなら、明日の子供たちが生きる環境を破壊してもまったく平気だという事実に、国民の注目を集めないようにしたい。それがジョージ・ブッシュの政府なのです。孫の代に環境がどうなっていても意に介さない。いま儲けることが大事なんです。しかし人々は意に介します。人々は孫たちに地球を残したい。だからこそ、政府はそこに注意を引きたくないんです。完全に逸らしておきたい。ワシントンでは国民に対する大掛かりな攻撃が行われている。そこに人が目を向けないように、どこか別のところを向いでいてほしい。どうすればいいか。恐怖に陥れればいいんです。人々をコントロールする最良の方法は恐怖を利用することです。だから、もしも我々を滅ぼそうとしている「悪の枢軸」が存在するならば、人々は恐怖に怯えて四の五の言わず、指導者の言うがままになり、指導者が人々にしていることにいちいち神経を尖らせることはあるまい、とこのように考えているのです。炭疽菌の問題では、人々は気づきました。炭疽菌。パニックが起こると、これはたちまち国外のテロリストの仕業にされた。実際、イェール大学のトップクラスの学者6人が、つい最近大学出版局から本を出して、アメリカ合衆国に対する真の脅威は炭疽菌だ、なぜなら外国のテロリストがここまでやるということを示しているからだ、と書いています。しかし、炭疽菌の出所はテキサスの国立研究所だと判明した。その時点で、この話題は新聞の一面から抜け落ちてしまった。国内のテロリストが政府の研究所から盗んでやったこと。それはトップニュースにはならないのです。 炭疽菌では人々を恐怖に陥れることはできなかった。だから別のもので脅かさなければならない。見せしめです。「悪の枢軸」もそれと同じことです。「枢軸」が何のことだったか、ブッシュは覚えていないかもしれないが、人々の中には覚えている者もいるでしょう。「枢軸」は恐怖の象徴でした。その意味で非常に上手な楡えです。だから子供のおとぎ話でも使われるのです。響きがいい。「悪の枢軸」があれば、「ヒーロー」も現実味を帯びてくるのです。 |
イラク軍事攻撃はありうる
ですからアメリカ合衆国がイラクを攻撃することは十分にありえますが、これは国際テロリズムとはまったく無関係です。先日ブッシュ大統領が記者会見で述べたこととも無関係です。いいですか、大統領は、サダム・フセインとは自国の国民に向かってまで化学兵器を向けるような極悪人だ、大量殺戮兵器を開発しているんだ、と言っていました。どれも間違っていない。ただ、ブッシュのスピーチライターが注意し忘れたことがある。サダム・フセインはそれを、現大統領の父親の支援を借りてやった、という事実です。父親のジョージ・ブッシュはフセインを支援していました。イギリス政府もです。ジョージ・ブッシュとイギリス政府はフセインが最も残虐な行為をしている最中も、その後も、熱心に彼を応援し、大量殺戮兵器を作り出す技術を与えつづけた。彼が非常に危険な存在になったときも、いまのフセインよりはるかに危険であったときも。アメリカもイギリスも、フセインの犯罪をまったく気に留めなかったのです。 <辺見>そうですね。サダム・フセインがクルド人に対して毒ガスによる虐殺などの残虐なテロを行っていたときに、米国は強力に支持していましたね。 <チョムスキー>残虐行為の2年後、1990年の春にブッシュ大統領は上院の指導者からなる代表団をイラクに派遣しました。団長はのちに共和党の大統領候補になるロバート・ドールでした。代表団の任務はイラクに行ってフセインにエールを送ることだった。代表団はあの化け物にあてたジョージ・ブッシュのメッセージを携え、「アメリカから聞こえてくる批判は気にしないで」「はねっかえりのジャーナリストが2、3人ああいうことをいっているが」「我々はあなたに全幅の信頼をおいている」などと伝えてきたのです。 フセインは犯罪者です。当時も、いまも。しかし彼の犯罪と米軍の攻撃とはまったく関係がありません。それはたしかなことです。この問題について西側知識人が沈黙を守るのは、あまりにも卑屈ではありませんか。イギリスとアメリカがフセインの圧制を支援していたことは知識人なら誰でも知っているし、いま、彼を悪の手先のように非難するのが極めて偽善的であるのもわかりきっているのに、誰ひとりそうは言わないのです。なぜならば、知識人は権力に従わなければならないと知っているから──真実を口にしてはいけないと知っているからです。権力には迎合して、指導者を称えなければならないとね。 それを確かめたいなら、「そうとも、あいつは犯罪者だ。ありとあらゆる恐ろしいことをしでかした──我々の援助を受けて」と言った者が何人いるか、数えてみればいい。そう言えないのなら偽善者です。まったくの嘘つきで偽善者です。それが知識人の限界なのです。 <辺見>そうですね、とりわけ9・11以降、どこの国でも知識人といわれる人々のメッキが剥げつつあります。 <チョムスキー>したがって、攻撃の理由はそれではない。では何なのか? じつに明白です。イラクの石油資源はサウジアラビアに次いで世界第2位です。アメリカは遅かれ早かれ、かつてそうしていたようにイラクの石油資源を支配下におきたくなる。これはいい機会だと政府は考えたかもしれません。反テロを口実に世界第2位の石油供給源に対する支配権を再び手中にできるいい機会であり、ライバル国、持にフランスとロシアに支配権を譲らないですむいい機会である、と考えたとしてもおかしくない。遅かれ早かれそういうことが起こります。これはいい機会であるかもしれない。しかし非常に難しい作戦になります。極めて根本的な理由から。誰であれサダム・フセインに取って代わる者は、民主主義勢力であってはならないのです。なぜか。新しい体制に少しでも民主的な要素があれば、人民が声を上げることになるだろうからです。イラクの多数派はシーア派です。何が起きているか語る言葉をもしシーア派が持ってしまうと、人々はイランとの関係を深めようとする方向へ行くでしょう。それをアメリカ政府は容認できない。だからアメリカ政府としては、民主主義とは程遠い政権が、フセインに取って代わることを確保しなければ都合が悪いのです。 イラクのもう一つの勢力はクルド人です。アメリカ政府はクルド人に自治権を与えることなど到底承認できない。なぜならトルコに迷惑がかかるからです。トルコではクルド人が大変悲惨な目にあっています。80%はアメリカ軍の力を使って。これはクリントンの重大犯罪の一つですが、報道されていません。だから誰もそれについて語ろうとしない。じつは私はつい先日までそこにいたんです。クルド人地域に。何百万という人々が荒廃した国土から追いやられていました。それというのもすべてビル・クリントンと、アメリカの知識階級の責任です。知識階級は事実を語ろうとも報じようともしなかった。なぜならこれが彼らの犯罪だからです。1990年代最悪の犯罪の一つです。 |
日本の知識人は天皇を告発したか
トルコ政府にとっては、隣にクルドの自治領ができるのは、最も望ましくないことです。だからイラクにおいてはクルド人の権利を否定しなければならないし、多数派であるシーア派の権利も否定しなければならない。どうすればそうなるか? いましようとしているのとそっくり同じことをすればいいんです。目下、国務省とCIAは1990年代に国外へ逃れたイラクの将軍たちと接触を図っています。大半は犯罪者だ。現にそのうちのひとりはハラブジャ虐殺(88年、イラクのサダム政権が国内クルド人に対して化学兵器を使用、約5000人を虐殺したとされる事件)の責任者のひとりです。あれは毒ガスを使った……。しかしそんなことにはお構いなしだ。この男がいま我々のために喜んで動きたいというのならそれでいい。そもそも我々は彼の犯した犯罪など最初から気にも留めていないのだから。アメリカ政府は喜んで彼にポストを与えるでしょう……。 そしてもし可能なら、サダム・フセインとそっくり同じ体制を導入したいのです。さらに言えば、これは秘密でもなんでもないのです。完全に公になっています。1991年3月、湾岸戦争の末期にはアメリカが完全な支配権を握っていた。そのとき南部でシーア派が蜂起して、フセイン政権はこれで倒されるかもしれなかった。ところがアメリカ政府がフセインに、空軍を使って暴動を鎮圧するのを許したのです。それがゲームのやり方なのです。人類の歴史を通じてずっとやられてきたやり方です。 1930年代、40年代、50年代、日本の知識人のどれだけが天皇裕仁を告発しましたか? 60年代はどうです? 実際アメリカ人が裏に隠された真実を暴いた本を発表するまで、できなかった。それがいつものゲームのやり方なんです。 <辺見>天皇裕仁と日本の知識人の関係性は、日本のジャーナリズムや言論界の悪しき土壌を形成している大きな問題ではあります。が、ここではもう一つのテーマについて聞きたいんですけれども、最近、ペンタゴンが、ロシアとか北朝鮮とか全部で7カ国でしたか、それをターゲットにした核攻撃のガイドラインを作りはじめたと言われます。これについてはどのようにお考えですか? <チョムスキー>これは、クリントン政権時代の政策にほんの少し手を加えられたものにすぎません。私はこのことに関する書物を4年前に読みました。ベルリンの壁が崩壊するやいなや、ペンタゴンはもう武力の行使を抑制するものは何もないことに気づいたのだと思います。なぜならソ連が消失しましたから。だから彼らは戦略を変えはじめました。贅沢な兵器を潤沢に保有しているソ連から、少しずつ標的をずらしていったんです。ソ連は「多兵器(ウェポン・リッチ)環境」と呼ばれていた。(アメリカは)そこから「多標的(ターゲット・リッチ)環境」へとターゲットをずらしていったのです。「多標的環境」は兵力保有は少ないが、ターゲットが多いのです。 「多標的」とはどういうことか? 南です。第三世界のこと、非ヨーロッパすべてです。そこを攻撃するには、違う方法論がいる。必要なのは小型核兵器であって、巨大な核爆弾ではない。それと新しい戦術。新しい戦術は文字通り「先制的反撃」と呼ばれました。意味するところは、反撃しなければならないような攻撃がくる前に、あらかじめ反撃をしておくことです。これは、核不拡散条約に加盟している核非保有国に対して、先制核攻撃をしかけることを表す公式用語です。それが大統領命令で認定された。 もう一つ、同様の公式声明がある。最高位の機関である戦略司令部が「冷戦後の抑止力の必須条件」なるものを発表したのですが、それにみんな書かれています。ここで言われているのは、アメリカは「非合理的で報復的」にならなければならないということ、もしも国家が脅かされたらアメリカは無分別な行動をとることもありうることを世界にわからせなくてはいけない、というものです。そして人々は恐れ入らなければならい。名前までついています。「威信の確立」というのです。アメリカが攻撃してくるとわかっているから、そしてアメリカには圧倒的な軍事力があるから、誰もが恐れなければならないのです。 「核兵器は不可欠だ」と彼らは言い、これを作戦の中核に据えています。なぜなら、化学兵器や生物兵器は効果が薄く、あまり劇的でもない。それに引きかえ、核兵器の及ぼす影響は甚大です。そのうえ、核兵器は非常に不気味です。だからこそ、作戦の中核に必要なのです。核兵器を常に背後においておかなければならない。背後にあることがわかっている限り、恐れられるからです。実際には使わなかったとしても、外交に影響を及ぼすことはできる。だから作戦の中核に核兵器がなければ困るわけです。(ブッシュ政権の軍事政策は)クリントンの構想といくらか違っているところもあるが、大差はありません。ブッシュの周りの人間たちはクリントンの取り巻きよりもやや攻撃的で好戦的かもしれない。しかし肝心なのは、作戦面で大きな違いがないことです。そのうえなんと、いままで話してきたことは全部、戦略全体から見たら副次的なものなのです。作戦の主要部分、最も危険な部分は宇宙の軍事化です。 <辺見>宇宙の軍事化。それについてもっと説明していただけますか。 |
最大の危険は宇宙の軍事化だ
<チョムスキー>ここ数年の、国連総会を見てみましょう。1999年以来毎年、総会で外宇宙条約が再確認されています。これは1967年に結ばれた条約で、宇宙の軍備を禁止しています。なぜ国連がこの条約を再確認することになったのか? それは、世界中の人が、アメリカが条約を侵そうとしているのを知っているからです。だから毎年投票が行われ、満場一致で可決されるのですが、アメリカとイスラエルだけは棄権しています。アメリカが棄権するということは、条約はおしまいだということです。アメリカ国内はもとより、ほかの国でも報道されていないかもしれないが、アメリカ合衆国は宇宙の軍備を計画していて、それは極めて危険なことです。 迎撃ミサイルを備えるというのは、ほんの手始めにすぎません。政府が思い描いていること──ちなみにこの情報は完全に公開されています。クリントン政権時代の文書があるのです──それは破壊能力が高く、攻撃的な兵器を宇宙に配備することです。例えば大量殺傷力のあるレーザー兵器で、おそらく小型原子炉を載せている。そして精密な警報装置、つまり自動操縦で発射されることもある。制御は自動です。人間が行う必要はありません。すべてにおいで相当な迅速さが要求されるからです。地球的規模の破壊を保証したも同じです。工学の文献には、「標準事故」という用語がある。「標準事故」にはうまく対処しなければならない。複雑系のなかでは必ず起こる類の事故です。いつ起こるかはわからない。しかし起こります。コンピュータを持っていたら、そのうち必ず標準事故が起こります。突然何も動かなくなる。複雑系とはそういうものです。宇宙の軍備も極めて複雑なシステムなので、標準事故は起こります。標準事故が人類を破滅させる。しかし、これは非常に重要な計画で、スペースコマンドという公開されている文書を読めば、計画の理由が書かれています。「アメリカ産業の利益と投資を守るために、宇宙という新たな場へ向かわなければならない」と。かつて海軍が創設されたのと同じ理由です。海軍は産業の利益と投資を守るために作られた。そしていま、我々はまたしても開拓しなければならない。宇宙を。 ところがことは同じようにはいきません。イギリスが海軍を創設したときは、ドイツや日本が反撃することができた。しかしアメリカが宇宙を占有すると、これに反撃するところがないのです。宇宙開発にかけてはアメリカが独走しているからです。ということは、圧倒的な力をもって、利益と投資を守ることができるのです。極めて危険です。いろいろな問題はあるが、とにかくまず第一に、とても危険です。 もともとはクリントン時代の計画だったのが、ブッシュによってエスカレートしました。とても危険です。これは秘密でもなんでもない。最初にも言ったように、アメリカはすこぶる自由な国です。政府の活動に関して、文書は膨大にあります。しかし欠けているのは、真実を明らかにしようとする知識階級です。宇宙開発に関する文書はインターネットで見ることができる。しかし、一般の人々の関心が集まらなければ、誰も何もしようがないし、誰にも知られることがない。 ボストンの道端で、あるいはハーヴァードの学生ラウンジで、インタビューをしてごらんなさい。誰ひとりこのことを知りませんよ、公表されているもかかわらず。どこかで書かれたことはあるにちがいないが、非常に反政府的な文芸のなかでだけです。だから、あなたの最初のご質問に戻りますが、この国には言論統制はない。しかし、情報が表に出てこないということです。ただし、これは選択の結果です。統制ではありません。 <辺見>なるほど。今後の問題なのですけれども、イラクに対してアメリカが戦術核を使用する可能性についてはいかがお考えですか? <チョムスキー>率直に言って、疑問です。彼らは戦術核まで必要だとは思っていないでしようから。アメリカは通常兵器も圧倒的な量です。核兵器の使用はどちらかといえばプロパガンダなのです。アフガニスタンでは、戦っている相手が見えず、中世に舞い戻ったような戦況で、実質的に核兵器クラスの兵器を使っています。「デイジーカッター」といわれるタリバン兵を殺戮するために使われているものもそうです。あるいは「サーモバリック爆弾」というのも核兵器に極めて近い。それに、アメリカ兵が戦っている相手をごらんなさい。靴も履いていない農民です。技術レベルは12世紀ですよ。 |
すでに核兵器並みの兵器を使用
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力の差はあまりにも圧倒的ですし、核兵器の使用という伝家の宝刀を抜くのは誤りです。頭のおかしい連中が何をするか、わかったものではないけれども……。 イラクについては、兵器の問題ではないでしょう。イラクの軍隊を全滅させたあとに何をするかです。いま直面している問題は、民主主義の問題、適切な軍事指導者を見つけ、西側に従順な国家をいかに維持するか、ということです。それにもちろん、ほかのイスラム社会を怒らせないようにやらなければなりません。これが現実の問題で、核兵器では解決しないのです。 <辺見>私の目には、アメリカはいま、戦線をどんどん世界中に拡大しているようにも見えます。アフガニスタンから事実上パレスチナヘ、そして今度はイラクヘと。テロ撲滅を口実に、いろんな国に対して軍事顧問団を送っていますし、さきほどの「悪の枢軸」発言のように他国を故意に挑発もしています。オーバーに言えば、戦線を無限に拡大し戦争をグローバル化しているような気もするのですが。 <チョムスキー>思うに、いま起こっていることで重大なのはそういう問題ではありません。アフガニスタンでの戦争がもたらしたのは、中央アジアにおいて、アメリカが軍事力を発揮したという事実、そしておそらくはそこに恒久的な軍事基地を築いた、ということでしょう。アメリカは世界中に軍事施設を展開しています。太平洋から大西洋まで、どこにでも巨大な米軍基地がある。沖縄にもあります。そしていま、中央アジアに新しい拠点ができた。 これ以前、アメリカは中央アジアで軍事力を発揮する機会があまりなかった。いまはウズベキスタンやトルクメニスタンなど、新しい同盟国ができたということです。両国とも、タリバンととてもよく似た性格の政府なのですがね。だからいままで、殺人者でかつギャング同然だった両国が突如として聖者になった。発展して、民主化が進んでいくだろう、と新聞には書かれています。いまも昔と変わらないギャングですが、いまや、アメリカ軍の基地を容認するギャングになったのです。だからタリバンのように振る舞おうと、それは自由なのです。 しかしこれは軍事力の行使だから、やはりさまざまな問題を引き起こす。ロシアや中国、イランなど、中央アジアに利害を持っている国々もあります。したがって、必然的に衝突の要因を内包しているのです。しかしこれは大きな変化だ。ほかの場所での、例えばフィリピンでの出来事はサイドショーにすぎません。現実に、重大な問題の起こっている場所の一つが、おそらくインドネシアでしょう。アメリカは最悪の圧制の時代にも、インドネシアを支援してきました。言っておきますが、日本の行いはアメリカの行いよりさらに悪いですよ。 <辺見>それは私も聞いております。日本のインドネシア支援にはこれからも暴かれなければならない暗部が多くあります。 |
チョムスキー証言を日本が妨害
<チョムスキー>いささか個人的な話になりますが、私が東ティモール問題について初めて国連で証言したのは25年前、1978年のことでした。証言は裏で妨害されましたが、妨害しようとしていたのは日本の大使館だということがあとでわかりました。 <辺見>えっ、そんなことがあったのですか。 <チョムスキー>インドネシアの友人たちが行った大量虐殺が告発されるのを防ぎたかったのです。だから日本の行いも、決して誉められたものではない。アメリカだけではないのです。 とはいえインドネシアの東ティモール政策の主な支援者はイギリスとアメリカだった。最後まで支援しつづけたのです。一度たりともやめなかった。最後には、ありとあらゆる圧制が行われていたことなど気づかなかったふりです。世論の圧力に負けて、クリントン政権は最終的にはインドネシア軍との公的な関係を断たざるをえなくなった。けれども政府は関係の再構築を欲していた。そこでいわゆる対テロ戦争を利用して、血に飢えたインドネシア軍の将軍たちと再び手を結ぼうとしているのです。彼らは主に日本とアメリカによって、虐殺の責任に関して西側の捜査の手が及ばないよう、守られています。 ですから、これももう一つ非常に重要な問題なのです。ただし簡単にはいかないでしょう。例えばオーストラリアでは大きな反対が起きています。そして名前はわかりませんが、オーストラリアの情報部の人がとても重要な文書をリークしました。ついこの数日の間に出てきた文書もあります。それによると、オーストラリアは1998年から99年の残虐行為を承知していた。 <辺見>国連管理下の住民投票のころですね。独立派が圧勝したけれども、いわゆる併合派民兵が発砲、放火、略奪を繰り返し、多国籍軍「東ティモール国際軍」が展開を開始した。 <チョムスキー>オーストラリアのマスコミによって明らかになった話は、極めてショッキングです。オーストラリアの情報部が承知しているなら、アメリカの情報部も知っていただろうし、イギリスの情報部も認識していたはずです。アメリカはオーストラリアに大規模な情報収集センターを持っているんですから。ここはあらゆる出来事を把握していたでしょう。つまりビル・クリントンは東ティモールで途方もない大量虐殺が行われているのを知りながら、コソボよりひどい状況であるのを知りながら、軍隊を送り、訓練も行っていたのです。 トニー・ブレアはこれに輪をかけて悪質です。オーストラリアの平和維持軍が駐留を始めたあとも、戦闘機を派遣しているのですから。それが「倫理的外交政策」だというのです。これもまた、知識人にとっては大きな難問です。知識人は「我々の指導者」を、トニー・ブレアでもロビン・クックでもビル・クリントンでも誰でもいいが、とにかく聖人に見せなければなりません。大量殺戮者の手に、完全に意識的に武器を手渡すような類の聖人です。それを25年間やってきたのです。 メディアが取り上げてもいい、恰好の材料ですよ、これは。イギリスの新聞を読んで、どのように書かれているのか見てみるといい。いや、見るまでもないでしょう。まったく触れられてもいないのだから。しかし和解は成立するでしょう。そういうことは大切だ。世界の形勢を少しばかりは変えることになる。しかし大きく変えはしません。 |
中央アジアでグレートゲーム再現
中央アジアはおそらく最も重要な場所ですよ。19世紀の「グレートゲーム」の再現です。19世紀、イギリスとロシアは中央アジアまで拡張していき、そこで衝突した。アフガニスタン周辺で、イギリスとロシアが覇権を争って随分戦いました。それが「グレートゲーム」と呼ばれたのです。 これは新しいグレートゲームです。当事国の顔ぶれも違う。イギリスはいまや片隅に追いやられてしまいました。今度の主役はアメリカとロシアと中国です。利害も当時とは異なる。中央アジアの豊富なエネルギー資源をどこが支配下におくか、ということが争点なのです。湾岸地域ほどではないが、豊富です。日本も関わってきています。 <辺見>最近、アフガニスタン復興国際会議が東京で行われました。私の考えでは、アフガニスタンの経済的、社会的な復興はたしかに大事なんですけれども、非常に残念だったのは、アメリカによる一方的な軍事攻撃に対しての非難の声、それを問題にする声がなかったことです。逆に言えば、アメリカの一方的な攻撃が、紛争解決のための一つの定式として、国際社会に受け入れられつつある。私はこの定式に反対です。 <チョムスキー>一方的な軍事攻撃は新しい方法などではまるでありません。実に古臭い方法です。イギリスが世界を支配していたころのことを考えてみましょう。イギリスは何をしたか。例えば、第一次世界大戦後、イギリスは弱体化しました。大英帝国全域を直接の兵力で支配することはもはやかなわなくなった。そこでやり方を変えねばならなかった。どのように? ウィンストン・チャーチルが音頭をとったんですよ。彼は戦争省の大臣でした。彼はアフガニスタンとクルドに毒ガスを使うことを推奨しました。なぜならそれが、「生々しい恐怖」を駆り立てるからです。そうやって、完全に制圧できない未開の人々、アフガン人やクルド人を、支配下におこうとしたのです。 インド総督からは反対がありました。毒ガスを使うのは立派なことではないと。チャーチルは激怒しました。「未開人たちに毒ガスを浴びせるのは気分がよくないという心境は理解できん。それが多くのイギリス人の命を救うのだぞ。これは優れた科学の成果なのだ」。第一次大戦後の話です。毒ガスは残虐の極みですが、クルド人やアフガン人相手ならそうではなかった。当時、空軍力はようやく出はじめたところでした。そこでイギリス軍は空軍力を一般市民に投入することにした。中央アジアの一帯、アフガニスタンやイラクなどを爆撃しはじめたのです。 当時も軍縮会議はありました。軍縮会議のたびにイギリスが心を砕いたのは、空軍力を市民に行使することに対して、いかなる障害も持ち上がらないようにすることでした。首尾よくやり遂げたとき、イギリスの偉大な政治家ロイド・ジョージは政府代表を称えて日記に書いた。「ニガーに爆弾を落とす権利は守られなければならない」と。これがロイド・ジョージの姿です。有名な政治家の。そしてウィンストン・チャーチルです。偉大な指導者の。ふたりとも大英帝国のヒーローです。どこか違いがあるでしょうか? 実際のところ、もし時間が許せばフランスのこと、日本のこと、ドイツのことも話したい。大国はいつもこうやって人の顔を正面から蹴飛ばしてきた。何も目新しいことではないんです。だから誰ひとり驚かない。 |
数百万人の餓死を推定して空爆
(アフガンヘの)空爆を始めたのはたしかにアメリカです。ジョン・F・ケネディの話に戻りましょう。ハーヴァード大学にはケネディ・スクールがある。ここが政府の頭脳です。この大学院は『インターナショナル・セキュリティ(国際安全保障)』という機関誌を出しています。今月号を見ると、アフガニスタン専門家が記事を書いている。この文章が書かれたのは空爆が始まって1カ月後くらいで、戦闘はそのころにはほとんど終わっていたはずです。この作戦は数百万のアフガン人を飢餓に追い込むであろうという見積もりの上に行われた、と筆者は書いています。数百万の人々が餓死する可能性があると、前もってわかっていたんです。 彼らがいまどうなっているか、わかっているでしょうか。いいえ。自分たちの犯罪を調べていないからです。誰ひとり知りません。ヴェトナムで何人が殺されたか、数百万の単位でなら知っています。我々は自らの罪を捜査することはしません。負けた国だけが「悪いことをした」と言わされる。第二次大戦後の東京裁判が行われたのは、日本が負けたからです。ワシントン裁判などというものは開かれませんでした。毒ガスを使ったチャーチルに対する戦争裁判もありませんでした。敗れたときにだけ、自らの罪を見つめる。そのように仕向けられるのです。 しかしいったい何人の人が死んだのか、正確なところを見出すことは誰にもできないでしょう。ただ推定はできます。アメリカ軍は、数百万の人々を死なせることになるという推定のもと、空爆を行った。それをうんと高いところで話し合ったのでしょう。誰か気にかけたか? いいえ、それが当たり前だから。ヨーロッパとその分家は、何世紀にもわたって、常にそうやって世界を扱ってきました。そして日本もこの半世紀、できる限りそうしてきたのです。 例えば、フランスを例にとってみましよう。アルジェリア独立戦争の際、フランスの国防相は「我々はいま原住民を撲滅している」と言った。これが当たり前でした。ベルギーはおびただしい数の人を殺している。これはことさら驚くような数字ではありません。 だから富めるアメリカが空爆するのも驚くにはあたらない。いたって普通のことなのですから。弱い人たち、貧しい人たちをそうやってあしらってきたのです。何もいまさら驚くことではありません。 |
米英はアフガンに賠償を払え
アフガン復興の東京会議は資金援助を約束しました。金は現地に届けられたのか? 届いていません。約束はされたけれども届けられてはいない。届けられない理由はいくらでも並べられるでしょう。ただ援助のポーズだけでも、先進国の我々はなんてすばらしいんだろうというたいそうな宣伝になる。あきれた話です。ロシアとアメリカはアフガニスタンに賠償すべきです。1980年代、この二つの国がアフガニスタンをめちゃくちゃにしました。よってたかって国土を破壊した。アメリカはイスラム過激派テロリストの組織化を援助した。アフガニスタンの利益のためではありません。支援を通して国土を荒廃させ、狂信的な宗教指導者の手に委ねてしまった。こういう場合、援助ではなく補償を支払うべきです。ほんの少しでも誠実さのかけらがあるのなら、援助などと口走らないほうがいい。自分たちがしたことに対して、巨額の賠償金を支払うべきなのです。しかしそれは協議項目にはなかった。実際のところ、アメリカが1ドルでも支払うとしたら驚きです。いまアフガニスタンは群雄割拠のころに逆戻りしようとしています。ロシアとアメリカが掃討したあとに、いくつかの軍事勢力が国土を分断したように、そういうふうになりつつある。 9月11日のことで人々が何よりショックを受けたのは……あの行為は大変に残虐でした。しかし衝撃的なことはあれだけではない。残虐非道な行為はほかにもたくさんあります。ただ西側で起こったのはあれが初めてというだけのことです。世界のほかの人々に対して、我々がやってきたことなのです。ほかの人々はこれまで、我々にあんなことをしなかった。だからショックだったのです。ほかの国の新聞を見ると、必ずしも驚いてはいません。パナマでは、メディアが残虐行為を批判している例があり、そこでは父親のほうのジョージ・ブッシュの名前が出てきます。1989年、パナマに侵攻したとき、ブッシュはパナマのスラムを空爆させています。2000人あまりの人が犠牲になった。そういうことをよく知っているので、「自分たちがこれまでずっと我々にしてきたことをよく見てみなさい」となる。だからといって残虐さが薄れるというものではないけれども、衝撃は小さくなりますね。世界のどこにでも同様の戦争の話があるんです。 |
日本よ、対米批判の前に自らの像を鏡に見よ
<辺見>最後の質問です。いまの日本の首相は、ブッシュ政権を、前のクリントン政権よりも好きらしく、ほとんど運命をともにするようなことを言っています。同時に、日本がずっと大事にしてきた平和憲法を変えようともしています。アメリカのアフガンに対する報復攻撃の際には、インド洋に自衛隊の艦隊を出したり、憲法に真っ向から反する法律をつくったりして、アメリカの意のままに平和的政策を変えようとしています。日本にはいま重大な変化が生じていますが、この点、あなたはどうお考えですか? <チョムスキー>日本はこれまでもアメリカ軍国主義に全面的に協力してきました。戦後期の日本の経済復興は、徹頭徹尾、アジア諸国に対する戦争に加担したことによっています。朝鮮戦争までは、日本の経済は回復しませんでした。朝鮮に対するアメリカの戦争で、日本は供給国になった。それが日本経済に大いに活を入れたのです。ヴェトナム戦争もまたしかり。アメリカ兵の遺体を収容する袋から武器まで、日本はありとあらゆるものを製造して提供した。そしてインドシナ半島の破壊行為に加担することで国を肥やしていったのです。 そして沖縄は相変わらず、米軍の一大軍事基地のままです。50年間、アメリカのアジア地域における戦争に、全面的に関ってきたのです。日本の経済発展の多くは、まず、その上に積み上げられたのです。 50年前に遡ってみましょう。サンフランシスコで講和条約が調印されました。50周年を祝ったばかりですね。 <辺見>昨年(2001年)9月ですね。サンフランシスコのオペラハウスで50周年記念式典が開かれ、日本からは田中外相(当時)が出席しました。これには、戦争責任を回避しているというアジアからの非難の声もありました。 <チョムスキー>その条約にどこの国が参加して、どこがしなかったか、ご存じですか? アジアの国は軒並み出ませんでした。コリアは出なかった。中国も出なかった。インドも出なかった。フィリピンも出なかった。出席したのはフランスの植民地と、当時イギリスの植民地だったセイロンとパキスタンだけでした。植民地だけが出席した。なぜか? それは講和条約が、日本がアジアで犯した犯罪の責任をとるようにはつくられていなかったからです。日本がすることになった賠償は、アジアに物品を送ること。日本にとっては万々歳です。資金は結局アメリカが賄ってくれるからです。しかしもちろん、アメリカには支払いをしなければなりませんでした。占領経費やその他の犯罪のつけをアメリカに支払う。アジアの人々には支払わない。アジアに対しては何も提案されませんでした。それは日本が誰もが知るところの真の戦争犯罪人である天皇のもと、以前のファシズム体制を復活させて国家を再建しようとしていたからです。それも、アメリカの覇権の枠組みの中で。 <辺見>同時に締結された日米安保条約とともにサンフランシスコ体制という、日本との対米盲従構造をつくりました。これが今日続いている。 <チョムスキー>日本はその状態にいたく満足していました。それで富を蓄積することができたからです。日本の戦後復興はこのようにして成された。日本はそこを見つめる必要があります。だがもしも憲法を変えるというのなら、たしかに由々しいことではあります。しかし、50年にわたってアジア地域での戦争に貢献してきたことに比べたら、ささいな問題です。 <辺見>おっしゃっている意味はわかりますが、我々にとってはささいではありません。 <チョムスキー>この50年を含む前の世紀には、日本が記憶に留めておくべきことが数多くあります。何度も言うようですが、他人の犯罪に目をつけるのはたやすい。東京にいて「アメリカ人はなんてひどいことをするんだ」と言っているのは簡単です。日本の人たちがいましなければならないのは、東京を見ること、鏡を覗いてみることです。そうなるとそれほど安閑としてはいられないのではないですか。 |
辺見庸(へんみ・よう)プロフィール 1944年、宮城県生まれ。早大卒。共同通信北京特派員、ハノイ支局長などを経て96年退社。78年中国報道で新聞協会賞、91年『自動起床装置』で芥川賞、94年『もの食う人々』て講談社ノンフィクション賞受賞。『単独発言』や坂本龍一氏との対談『反定義』などを出版、米国や日本の戦争政策を激しく批判する。 |
Noam Chomsky(ノーム・チョムスキー)プロフィール 1928年、米国ペンシルヴェニア州生まれ。MIT言語学教授。「変形生成文法」の理論で言語学界に革命をもたらす一方、ヴェトナム戦争以来、政治的にも多数の発言をつづける。9・11テロ以降『9・11 アメリカに報復する資格はない!』『ならずもの国家と新しい戦争』など、その発言は日本にも多数紹介されている。 |
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